昔の独り言……(3) 4/13〜4/30


4/30(木)

 中国の人民解放軍が香港の若者を対象に体験入隊ツアーを組んでいるらしい.資本主義に浸かって育った若者に祖国の軍隊をアピールしたいんだそうだ.軍隊さんも大変ですねー.戦争屋さんにあんまり感情移入はできないので,この程度の意見しか持てないんですよねー.
 体験入隊といえば,未だに「自衛隊への体験入隊」とかいう怖い新人研修を行っている企業はあるのだろうか? 私が社会に出た十年頃前までは,まだそういった厳しい研修を売り物にしている企業が多く,入社案内や会社説明会で堂々とアナウンスしていた.モーレツ時代ならいざ知らず,私の頃になると体験入隊は誰でも嫌なので,そういう企業は人気が無かったように思う.
 考えるに,あれはいったいどんな人が望み,何を期待して始めた習慣なんでしょうね? 経営者はそんなに「兵隊」が欲しかったのだろうか.まぁ,そうでなければこんな習慣ができるわけはないので,きっとそうなんでしょう.だが,兵隊だと何が良いのだろうか,という疑問がまだ残る.
 というわけで,幸運にも私は「体験入隊」系のモーレツ研修を受けずに済んでいる.ところが,マンガ「バイト君(いしいひさいち)」に「体験入隊などは無い」と言いながら実は研修担当者が自衛隊出身だったというギャグがあったが,実際にこれと似たようなパターンで誤魔化していた企業も多かったようだ.研修を担当した業者が能力開発セミナー系だったとか,PHP系だったという話を聞いたことがある.何だか一日で会社が嫌になりそうだ.これは,そういった研修が絶対に嫌だという話ではなく,そういう業者の売り込みに共感し,研修を任せてしまった自分の会社に嫌気がさすだろうという意味だ.

 アンギャー! 昨日の更新ファイル,今日確認したら壊れていたよー.昨日の更新ではこのページの後ろ半分が無くなってしまっていた.何だと思って調べてみたが,そもそもHDDのファイルからして後ろ半分がなかった(^^;).その前に誤ってHDDからファイルを消してしまっていたため,サーバからFTPでダウンロードしていたのだが,その際に事故っていたらしい.というわけで,IEのキャッシュから取り出してファイルを復旧した.たまたま一昨日にIEを使ってページを見ていたから28日の分まで取り出すことができた.ありがたやありがたや.
 と,ここまでが良い話.ここからは悪い話.キャッシュから取り出したファイルをそのまま上書きしてしまったため,今度は昨日の更新分がHDDから消えた.この段階でWeb上から昨日の分を取り出せばよいのだが,すでに気力が萎えてしまっているので,このまま上書きすることにする.このファイルがアップされた時点で昨日の分は跡形もなく消えることになる.バイバァーイ,昨日の自分.(ってそんなに大げさなものか!)


4/28(火)

 最近,愛飲しているのが伊藤園「ジャスミン茶」である.缶に書いてある「お口を清め,体に芳香を与えます」というコピーがなかなか凄くて気に入っているのだ.中国には飲む香水という怖いものがあるらしいが,このコピーもなかなか怖くて良い.ジャスミンと言えばお風呂の臭い,金木犀といえばトイレの臭いという日本の事情では,もし体からジャスミンの臭いがしても,「よほど長くお風呂に入っていたんだな」とは思われるかもしれないが,残念ながら「あ,この人,良いにおい・・・」と感じてくれる人はなかなかいそうにない.
 口臭は簡単に変えることができるが(ex.正露丸,大蒜,葱),体臭は難しいとばかり思っていた.だが,飲み物で簡単に体臭を改良できるのなら,これはいろいろと使えそうだ.マタタビの臭いをさせてキャットキラーになるというのは基本技としても,クレゾールの臭いをさせて「無菌状態」をアピールするとか(私は清潔ですぅ!),トルエンの臭いをさせて「ラリパッパ攻撃で周りはイチコロ,これで会議での説得力倍増だぁ!!」という大技が使えるようになるかもしれない.
 ところで,臭いで遊ぶといえば,おならの香水というジョークグッズはあったが,ワキガや足の臭いは悩んでいる人もいるだけに,さすがにおもちゃにはならないだろう.だが,隠れ愛好者が多数いると思われる臭い,たとえば本の臭いとかケシゴムの臭い,革の臭いだったら害はない.ケシゴムの臭いなどは,普段は隠れて嗅ぐしかないのだが,もし香水が出来てくれれば何かにしみこませ,人にわからないように楽しむことが可能になる.アロマテラピーなど,臭いの重要性への関心が高まる今こそ,マイナーな臭いの愛好者も救われるべきだと思うのである.ってか.

 昨日の記述に関し,本日よくよく見直してみたところ,吹きさらしの側は,どうやら拡張工事をするようである.したがって,工事の完了時には事態の改善が期待できる.しかし,この工事がいつ終わるのかは知らないが,それまで雨が降るごとに右往左往しなければならないという事態は変わらない.利用者のことを考えるのなら,仮設でも何か対策をするべきだ.これまで何か月間も我慢を強いてきたわけだし,まさか数週間で終わるような工事でもなかろう.
 よって少し齟齬が出たものの大筋は変わらないため,昨日の文章への変更・訂正等はしない.これから梅雨になると,駅の構造に不快感を感じる日が多くなる.あー,いやだ.

 表ページの会報「蝸牛月刊」を何とか更新.予告の通り27.75号である(^^;).今回,私はほとんど貢献していない.大山氏に感謝.(同日早朝に記載)


4/27(月)

 おらおらおら!! なめとんのかコラ!! 西武池袋線練馬駅!! 我ら非力で沈黙の一般利用者がどれだけ不愉快な思いをさせられているのか知ってんのか,コラ!
 と毒づいてみても仕方ない.西武池袋線の練馬駅は致命的な欠陥を抱えている.駅の職員はわかっているだろうが,今更手の出しようは無い.そこがまたとんでもない話である.
 最近,練馬駅はホームが全部高架になった.特に池袋行きの側には高いビルもなく,前には広い駐車場しかないため,壁で覆い隠す必要がない.そのため現状では,剥き出しのホームだけがポツンと上空に取り残された形になっている.しかも開放的な雰囲気を出そうとしたのだろうか,ホームの屋根は非常に高い.
 したがって晴れた日にはホームからの見晴らしが非常に良く,豊島園や光が丘が見えて景色は良い.だが,少しでも雨が降ると,たいへんな状態になってしまうのだ.周りに何の障害物も無く,屋根も高いために雨がもろに吹き込み,ホーム全部がびしょ濡れになる.はっきり言って屋根は全く無いのと同じである.少なくともホームの上に逃げ場はないため,雨が降る日には階段の途中で待っているか,屋根付きのホームにいながら傘をさしていることになる.または,影になっていて濡れずに済むわずかな場所に数人ずつ固まるしかないのだ.
 これは風の強い日にも同じ状況になる.
 エスカレータやエレベータを完備し,「利用者にやさしい」駅をアピールしたいのだろうが,車椅子の利用者がエレベータでホームに上がってきた途端「ビショ濡れ,しかも逃げ場無し」状態になるのでは話にならない.
 ちなみに練馬駅のホームには売店がないのだが,その計画が最初から無かったのか,それともこの状況に気が付いて取りやめたのか,さだかではない.
 この駅を設計した人は,日本の降水量を調査しなかったらしい.今のような状況になることくらい,工事の最中に気が付きそうなものだが,周りからの見栄えのみで作ったとしか思えない.利用者の都合を無視し,作っている人々だけが嬉しいという,まことにマスターベーション的デザインの駅であると言える.
 だが,私は今の練馬駅に感謝している.なぜならば,

の二点で評価できるからだ.
 そんな練馬駅に日頃の感謝を込め,捧げる詩を作ってみた.ドリアン助川の声で読んでください(^^;).

西武練馬駅に捧げる詩

西武線,池袋から出発する黄色い電車
準急に乗ればすぐ次の駅
みんなそこからどこかへ向かう
そんなただの通り道

以前,君は悲しい駅だった
ホームが狭くて人がこぼれる
何か悲しいことが起こりそう,
そんな予感を抱いていた

ある日君は変わった
立派な高架のターミナル
晴れた日の写真写りは最高だ
君は自慢のタネに変わった

だけど今でも君は悲しい駅
どんなに綺麗に化粧をしても,
誰のための美しさなのか,
そんなこと,君は考えたこともないだろう

雨の日,空が泣いている日
みんなもホームで泣いている
現代社会の片隅で,
居場所がなくてさまよい歩く

みんな居場所を求めている
居場所の無い駅から,
安心できる居場所に向かう
そんな不安な通り道

西武練馬駅は悲しい駅
昔も今も悲しい駅
西武練馬駅は悲しい駅
ただの悲しい通り道


4/26(日)

 このところ(精神的に)少し壊れかかっていたので,金曜・土曜は更新をさぼって「リハビリ」をしていた.具体的には,サルのように「エイジ・オブ・エンパイア」をプレイし,そしてビデオを観た.まぁ,その中の一本が「インディペンデンス・デイ」だったということを除けば,悪くない時間の過ごし方だったと思う.観たかった映画が全部貸し出し中だったので,物は試しとばかり,今更ながらに借りてみたのだ.
 いやー,何なんでしょうね,この映画.見終わった後で何も感想が無い(^^;).ペラペラのキャラクターにスカスカのストーリー,非現実的で必然性・説得力が全く無い台詞,奇麗なだけでひたすらアホらしい特撮シーンなど,これに何を言えば良いのだか・・・.これで演出のテンポが良ければ単純な(単純すぎる?)娯楽作品になったのだろうが,演出が冗長すぎて「次はどうなるのか」という興味を観ているものから奪い去ってしまっている.空軍パイロットとダンサーの再会というストーリーに期待して観ていたのだが,あまりにもあっけなく,しかも劇の途中で終わってしまったため,その後は期待するものが何もなくなってしまった.
 評判やレビュウなどを読んだ限り,本作品には,アメリカ万歳で他国民が観ると不愉快になる可能性がある映画というイメージを持っていた.だが,残念ながら本作品には根拠のはっきりした主張が存在しないため,論じることなど不可能だ.さらに言うと,そもそも本作品は,観客を愉快/不愉快にする――つまりは観ているものの感情を左右できるほどの出来ではない.
 もし,本作品を観て怒るとすれば,その主張にではなく,出来の悪さに対してだろう.

 ちなみに,「スターシップ・トゥルーパーズ」については,原作は嫌いだが,(あの)バーホーベンが監督するというので期待していたりする.


4/23(木)

 瀬戸口藤吉(「軍艦マーチ」の作曲者)生誕130年記念で「軍艦マーチ」のCDが発売されるとか・・・.何だか凄い話ですねー.何でも同じ曲がアレンジを変えていくつも収録されているそうで・・・.軍艦マーチといえば,パチンコ屋か右翼団体くらいしか使わない曲になりましたが,中曽根首相(元)が訪米した時に楽隊が演奏して大騒ぎになりましたね・・・.これはよく憶えています(^^;).
 他国の国民がその曲に何を感じているのかなど知りようがないので,これは仕方の無いことでしょう(誰かが演奏しろと言ったのなら別の問題になりますが).「君が代」にしたところで,一応は国歌だと言い張っている人たちがいるので,国際的な場所,たとえばオリンピックなどで演奏されてしまいます.
 個人的な体験を言わせてもらえば,サンクト・ペテルブルグに行ったとき,私のために「君が代」が演奏されてしまい力の抜けた経験があります.公園でのことでした.元軍人さん達が街頭バンド演奏をしていたのですが,その前を通りかかると「どこの国の人?」と聞いてきたので「日本だ」と答えたら,即座に演奏しはじめました(^^;).喜ばせようと演奏してくれたわけなので,ちゃんとお金を置いてきましたが,複雑な心境でした.
 話を戻すと,軍艦マーチにどれだけ恐い歌詞がついているかを考えると,正直言って良い気分ではありません.
 今回の「軍艦マーチCD」は,純粋に曲としての良さを評価しようとしているとのことです.たしかに作っている人々もその点に注意を払っていることでしょう.しかし,新聞によると,そもそも軍艦マーチは先に歌詞があり,それに曲を付けたという「歌詞優先の楽曲」です.普通,歌詞がついた曲を評価する際,曲と歌詞とを分けては考えません.歌詞と曲が合わさって一つの作品になる,不可分のものだと思っています.しかし「軍艦マーチ」が,曲を聞いて歌詞が浮かんできてしまう楽曲である以上,曲だけで評価するというのは,とてもできないと思います.
 しかも,元の作曲からそうだったのか定かではありませんが,軍艦マーチは,一般的に演奏される際,曲の途中に「海ゆかば」というさらに恐い歌詞を持った曲のフレーズが入ってしまうような性質の曲なのです.
 そのようなわけで,私にとって今回の「軍艦マーチCD発売」の報道は「はぁ,そうですか,それはそれは・・」といって済ませられるような話題ではありませんでした.


4/22(水)

 昨日の文章に対し,結論を伝える努力を放棄しているのではないかというニュアンスの指摘があった.結論がいささか陳腐だったため,書くのが面倒くさくなって省略してしまったのだが,確かに不親切きわまりない.したがって付け加えることにした.やはり排泄物による相互理解は難しい(^^;).まともな文才が欲しいと思う今日このごろ.


 また何か線が・・.


4/21(火)

 一般に,何かを人の体に入れることに関しては寛容だが,出すことには厳しい.TVなどを見ていると,ガムやマウスウォッシュ,歯磨きのCMでは,何かと口に含むシーンが出てくるのだが,必然的に起こる後処理は絶対といっていいほど出てこない.ガムに関しては「つつんでクズカゴに」と出るのだが,その他の商品に関しては何の情報も伝えられていない.最近では知念里奈がCMでクチュクチュしているのだが,したままで終わっている.
 まぁ,常識的に吐き出すところを見たくない/見せたくないというのはわかる.いつも吐いた唾だけが汚いのだ.
 食べ物に関してもそうである.食べるシーンはたくさんあるが,出てくるシーンは絶対にない(^^;).まぁ,出てくるシーンが特に好きな人もいるらしいが,好事家の秘められた趣味として隠蔽されている.
 吐き出すシーンが無いのも,食事の処理物が出てくるシーンが無いのも,また,好事家が趣味にするのも,一般に「汚い」とされているからである.では何がどうなると「汚い」という意識が働くのだろうか.マウスウォッシュで考えると,

ということになる.つまりマウスウォッシュは口から出て空気に触れた瞬間によごれるということだ.ここで面白いのは,空気に触れていなければ通過とは見なされず,汚いと認識されないこともあるという事実だ.マウスウォッシュとか食物の処理物はさすがに強烈すぎるが,たとえば口移しやディープキスを思い出してみるとわかる.口移しで飲む行為に抵抗は感じないが,口から一度コップに出したとしたら,かなり抵抗がある.
 これを突き詰めると,結局のところ,
  1. 人間は基本的に汚い物製造器である
  2. ただ,人の体を通過していても,物によっては明示的に示されない限り,あまり気にならない
  3. 明示的に示されるとは,たとえば空気に触れることであり,その瞬間に汚いとされる
と一般的かつ暗黙的に認識されているということになる.人は,自分も含め,全ての人の体は汚染フィルタだと思っているというわけだ.まぁ,そんなもんかもしれない.

 入る/出るという話では,唯一,子供に関しては出てくることが喜ばしいこととされ,出産後の母親を囲んで万歳すらしかねないシーンが放送される.このシーンを小学生が見ていても特に問題を感じない.だが,子供を腹の中に入れる行為は大人の秘められた趣味として隠蔽されている.これは入出力の関係が逆に見える.だが,これも元々は体液を出す行為だと考えると,上の理屈をそのまま通すことができる.異性の体液はともかく(^^;),同性の体液は(自分のものでも)絶対に嫌だという意識は,たぶん上と同じ理由による(もちろんそうでない人もいる).

 結局,人と人との付き合いは,いかにお互いの汚物を受容するかが基本なのかもしれない.その汚物の範疇には,肉体的・物理的な体液や排泄物だけではなく,感情的・精神的な排泄物,すなわち言葉や言語,態度なども含まれるだろう.
 空気を介さない体液交換に感覚的・感情的な限界があり,テレバスでもない限り精神的な排泄物の交換は空気を介さざるを得ない以上,人の相互理解は,そこに限界があるということだ.これは仕方がない.それを乗り越えるためにする努力を,広い意味での信頼とか,愛情というのだと思う.

 うーん,今日のネタは失敗じゃぁぁぁーーーーーーー.


4/20(月)

 不勉強のためケナフという植物を今日まで知らなかった.アフリカ原産でハイビスカスの仲間なのだそうだ.なんでも,この植物はパルプになるとのことで,休耕田で栽培できないものかと試している自治体があるそうだ.
 その他の利用法として,活性炭,建材などへの転用が検討されているそうだが,食用にもなるらしい.ホームページで調べたところによると,若芽をテンプラにしたり,ハンバーグや餃子に入れて食べると書いてあった.栄養的にはカルシウムが牛乳の4倍,鉄分がほうれん草に相当し,ビタミンB2が豊富とのこと.新しい野菜として定着するかもしれない.
 話は外れるが,ガキの頃と今の食卓を比較すると,日常的に口にする野菜の種類は爆発的に増えているような気がする.グリーンアスパラ,ブロッコリー,モロヘイヤ,チンゲン菜などは今でこそ日常的に食べているが,実際に家庭で食べ始めたのはここ数年のことだ.もっともこれは私がたまたま肉食中心の食事を止めたのがこの時期だったというだけのことだ.そして田舎育ちなので,限られた野菜しか出回っていなかったのも原因の一つだ.この点については日本経済の豊かさと流通システムに感謝しよう.
 話をケナフに戻すが,どこまで紙として利用できるのかはわからないし,果たして野菜として美味しいのかどうかもわからない.だが,栄養価が高いと言うことで健康願望症候群とも呼べる現在の日本には受け入れられやすそうだ.もし八百屋に並んだら試してみよう.
 また,単なる野菜としてだけではなく,手漉き紙の製作用としてDIY趣味の人にも受けそうだし,二酸化炭素の吸収量が多いらしいためエコ商品として注目されそうだ.もっとも名前が定着し,簡単に手にはいるようになるかどうかは全くわからないが,定着すればベランダで栽培する人が多くなるのではないかと思う.
 ちなみに我が家はサボテンどころかエアプランツすらも枯らすので,とても栽培はできない.(^^;

 「疲れてくると内容が下品になる」という法則(下品則)を先日発表したが,加えてもう一つの法則を発表する.「忙しいと不必要な文章が多くなる」法則(不要則)である.今日の文章などは,まさにその典型.あーなんだか,「煮詰まってくると自虐的になる」法則(自虐則)というのも出来てしまいそうだ.


4/19(日)

 公共という言葉の定義が変わりつつあると考えているのは私だけだろうか? 岩波国語辞典第四版によると,「公共」とは「社会一般.おおやけ」となっている.そして「公」は「(1)政府.(2)共有.(3)公然」という意味だと書いてある.
 たとえば,一般に公共施設というと,普通は「公」を(2)の「共有」という意味で使い,社会一般に共有される施設ということになる.だが,最近では公共の「公」は,(1)の「政府」という意味に置き換えられているらしい.たとえば公共事業は,社会一般で共有されるための事業ではなく,政府のためだけの事業という意味になる.
 確かにこれは言葉遊びにしかすぎない.だが,程度の低い言葉遊びのレベルで社会が改悪されてしまうのでは,たまったものではない.しかも,残念なことに,これと似たような意味のすり替えが,これまで何度も行われてきているのだ.繰り返しになるが,国民も含めた「社会一般での共有」という意味が,「政府の共有」,つまり「政府の中だけで共に利益を分配する」という意味にすり替えられていないだろうか?
 常識的な意味を無視してでも建前や原則といった言葉にこだわる人たちにとり,言葉の定義は最も重要なものであるはずだ.すぐにわかってしまうような安易な意味のすり替えは,普段自分たちがとっている態度を否定するものであると言っていい.そのことをお忘れなく.

 個人ページを別のサーバへ移した.この文章はすでに昨日と違うURLで表示されているはずである.巡回しているページが移転していると結構面倒くさいので,できるだけ移転を意識しなくても良いようにした(つもり).だが,管理の面からファイルのミラーだけは避けたかったので一部のファイルを消した.したがってファイルを直接指定して飛んできている人には障害が出ることもある.
 このスペースを与えてくれた「光が丘Walker」さんに感謝多謝.


4/18(土)

 朝日新聞夕刊に掲載されている「Mr.ボオ」は非常に不思議な漫画である.何が不思議かというと,それが少しも面白くない点だ.何のヒネリもなく,何のオチもなく,それどころか意図すらもわからない.
 しかし,本当に何の意味も意図もない作品を新聞が掲載するわけはない.きっと何かの意味があるはずだ.それを一般読者たる私が気づいていないだけに違いない.すると,あの漫画はある種の暗号,または私が本当の楽しみかた知らないだけだということになる.では,何の暗号なのだろうか? どうしたら楽しめるのだろうか ここでは「Mr.ボオ」が上記二点のどちらかの目的で掲載されていると仮定し,考えられる可能性を挙げてみる.

 その他にも,全読者を恍惚の世界へいざなおうとしているのだとする「カルト宗教陰謀説」や,実は虫メガネで見ると全ての線がメッセージになっているという「サブリミナルマンガ説」がささやかれていることを報告しておこう.


4/17(金)

 ポル・ポトの死去によってカンボジアは再生するのだろうか? あの国には複雑な思い出がある.8年ほど前,カンボジアを見たくて仕方がなかった(かなり不純かつ不謹慎な動機からだが).だが,正攻法の旅行でまともに入れるわけもなく,日本からの手続きだけで行けるということで,ベトナム側から見てやろうと思った.タイ側からでもよかったのだが,ポト派の拠点が近いので,自力では絶対に近づけない.したがって,すでにドイ・モイを始め,再生を始めたベトナムへ行った.だが,いかんせん,開放・再生を始めたとはいえ,まだまだ途上の共産主義国である.そんなに簡単に国境まで行けるわけもない.しかも悪いことに,こちとら何の目的もない観光客なのだ.行ってみれば何とかなるだろうと思いきや,行ってみたところで何ともならなかった(^^;).タイから正規ルートで観光コースに入った方が良かったのかもしれない(^^;).その数年後にはタイ経由のツアーでアンコールワットなどに行けるようになり,さらには日本からの手続きで入れるようになったが,その時の悔しさもあって,行く気にはならない.したがって,見たいけれど,未だに見られぬ国である(しかし,よくよく考えると,かなり情けない話だ).

 カンボジアという国を意識したのは中学生の時だ.ある日,朝起きて新聞を見たら黒地に白抜きの大きな文字で「プノンペン陥落」と出ていた.ベトナムがカンボジアに侵攻し,ポル・ポト政権を打ち破ったニュースはかなりショックだった.東南アジアで拡大戦争が始まるかとも思った.その頃,カンボジアを中国が支援し,ベトナムをソ連が支援していることだけは知っていた.したがって,中国対ソ連の図式がはっきりと出過ぎているこの事件は,非常に暗い気分にさせられた.その後,中越戦争が起こり,もっと暗い気分になったのは言うまでもない.
 その頃は不勉強にして,クメール・ルージュの名前もポル・ポトの名前も知らなかった.ベトナムがどんな経緯で侵攻したのか,その時までカンボジアで何が行われていたのか,中越戦争の意味を知ったのはずっと後の事だった.映画「キリングフィールド」を見たり,本多勝一「カンボジア大虐殺」を読む遥か前の事だ.


4/15(水)

 「ダ・カーポ」が本の特集.ミステリやホラー,純文学,時代小説,ビジネスなどのジャンル別に・・・SFはどこやねん!! 「ループ」は完璧にSFだと思うし,「敵」もSFとの境界ギリギリ作品だと思うので,SFという手法が特にマズくなっているわけではない.「SFの浸透と拡散」という言葉を「SFという手法が広く受け入れられ,プロパー以外の多くの作品で当たり前の手法として使用されるようになること」だと解釈すれば,現在の状況はその目的を果たした結果ということになるのだが,これは書いている本人も納得していないので,説得力はない.

 いきなりの偏頭痛でダウン.早めに帰り,アルカセルツァを飲んで爆睡するも,未だ直らず.疲労が溜まるごとに「独り言……」の内容が下品になるのがわかった.今度から注意せねば.というわけでお休みなさい.


4/14(火)

 再び車内生活者の話(詳しくは4/8の独り言…を参照のこと).今回のは特に下品なので,例によってコメントで隠しました.興味のある方のみ,ソースをご覧ください.


 完璧にクセになってますね.


4/13(月)

 何度も似たようなネタで申し訳ないが,デスクリムゾンリンク集 せっかくだから、俺はこのリンクを選ぶぜで紹介されていた超クソゲーせっかくだから読んだ.本書の白眉はデスクリの開発元エコール社のFAXインタビューだろう.この回答が結構凄いのだ.これだけでも買った甲斐があったかもしれない.
 本書で紹介されていたゲームでは,名前を聞いたことがあるものが約1/3程度,あとは初めてのものばかり,運の良いことにプレイしたことがあったのは一本しかなかった(ひょっとして不幸なこと?).デスクリを知って以来,クソゲー関係のWebページを読むことが多くなり,評判の高い(悪い?)ゲームの名前をいくつか覚えてしまっていたのだが,まだまだ奥が深い.クソゲーそのものよりもクソゲーに関する評価やクソゲーを取り巻く状況のほうが面白い.これはたとえばSFそのものよりもSF大会やファンの集まりが好きというファンダム・ファンが存在することとよく似ている.
 本書の記述を信じるのなら,紹介されているゲーム群は,凄いの一言につきる.ところで,ロシアのサイバーパンク作家アレクサンドル・チューリンは「サイバースペースは人間の心を純粋な形で写し取る鏡だ」と言った.ゲームはソフトウェアプロダクトの中で最も作り手の感覚や個性が強く反映される分野なので,この言を適用することはある程度可能だろう.そしてゲームは一人で作れるわけではないので,集団の総意で出来上がったものだと解釈すると,これらクソゲーが凄いのは,ゲーム制作者の集合意識がそもそも凄かったからということになる.ということは,我々は普段滅多に見られない集合意識の暗黒面をクソゲーによって観察することが可能になっているのだ!.って,いったいなんのこっちゃ.

 せっかくだから,もう一つデスクリネタ.Macのフリーエディタ「褌エディタ」を愛用している.自宅の狭いライティングデスクに載る小型パソコンはSE/30しか持っていないため,未だSystem7で使っている.で,その褌エディタのアーカイブには毎回「読まなくてもいいよ」という日記ファイルが付いてくるのだが,それが楽しくて全部保存している.ふと思い出して「読まなくてもいいよ」のファイルで「デスクリムゾン」と検索をかけてみたら,しっかり出てきた.ファイルの日付からすると結構前のことだ.ここで謎が浮かんだ.なんで私はそんな昔のファイルで,その頃には全く知らなかったゲームの名前を覚えていたのだろうか?

 さらにデスクリネタ.以前書いたデスクリネタに関してメールをいただき,知らなかったネタやレアネタを教えていただいた.たいへんありがたい.デスクリは思っている以上に有名な話のようだ.しかし,怖い物見たさで,一度くらいはデクスリをプレイしてみたいものなのだが,やはり人気が高いようで中古屋に出てくれない.きっと伝説にしておいたままのほうが良いということだろう.

 ファイルサイズが大きくなってしまったので分割した.表に出ている文章こそ少ないのだが,余計なものをたくさん入れてしまったため(^^;),気がついたら意外と大きくなっていた.(という文章を書いたのはいいが,アップするのを忘れてもーたー,4/14)


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