昔の独り言……(4) 5/1〜5/31


5/31(日)

 ある時期、何かの問題提起,または問題を紹介したコラムやエッセイの結びとして「応援してゆきたい」とか「見守ってゆきたい」、「〜しようと考えている」といった語句が頻繁に使われていた。もちろん、その通りの意味で書かかれ、実行に移される例も多い。非常に立派なことだと思う。だが、今更説明するまでもないが、これらは自分が前向きであるということを示しつつ、しかも発言に対する責任を回避できるという、非常に都合の良い言葉として使われることもある(念のため詳しい説明をここに示す)。
 いわゆるエコが流行と化したとき、酒製造会社やファーストフード会社が宣伝で「地球環境を考えています」という文句を使っていたことがある。だが、そんなことを言いながらプルタブや発泡スチロール容器を使用していたために「どこか『考えている』んじゃー」と突っ込まれた会社が「考えているだけです」と答え、このレトリックに含まれる危険性がさらけ出されてしまった。
 というわけで、このところ上のような「言動不一致を前提としたような使われ方」は減ってきているのだが、それでもまだ見かけることがある。
 私の知る限り、この手を未だに、しかも常習的に使い続けているコラムやエッセイがいくつかある。宣伝になるので書かないが、どれもそれなりに有名な媒体に掲載されているものばかりだ。一年ほど前の話になるが、それらのうちの一つがあまりにも欺瞞に満ちた使い方をしていたため,読者として抗議をしたことがある。
 具体的にはこういう話だ。その頃、アメリカで深刻な問題と化した事件があった。社会的に放置できない問題なので、少しでも解決すべく市民活動や企業が協力する活動が行われていた(今でも行われている)。そのコラムの中では、事件の概略と活動を紹介し、「今後、この活動を応援したいと考えている」と締めくくっていたのだが、この結びが非常に気になったのだ。
 普通、こういう締めくくりかたをされると、「応援」は「支援」とか「協力」に近い意味だと理解してしまいがちである。だが、これはアメリカの問題であって日本の問題ではないのだ。日本からどうやったら支援できるのか、どう支援するのかといった具体策が何も書かれていないため、読者はそこで置きざりにされてしまっているのだ。
 それとも「応援」とは単に「声援」したり(ネタとして)「注目」するだけなのだろうか。それだとしたら誤解するような書き方をすべきではないし、また意味の取り違えを故意に狙ったのだとしたら、かなり悪質である。
 話題にされていた問題は話のネタとして軽く扱って良いような種類のものではなかったため、どういう意図なのかを確認してみることにした。
 「これはアメリカでのローカルな問題ですが、『応援』すると言っても日本からどうやって行うんですか? 筆者が個人的にか、それとも会社として資金援助などの方法をとるんですか? そうでなければ単なる奇麗事としか受け取れないのですが」
 「こうやって報道することが、十分に応援していることになると思います」
 「確かにアメリカ国内に向けて報道するのであれば日本語であっても十分に(応援としての)意味があると思うんですが、日本の国内だけで、しかも日本語でのみ報道して何の意味があるんですか?」
 と言ったところで一方的に話を打ち切られてしまった。あーあ。この時、私はかなりイヤな奴になってしまったことになるのだが、しかし、この媒体の態度には問題があると思う。
 この手口、というかこの結び方は,文章の締めとしてたいへん便利な表現だと思う。だが、それゆえに書く側に麻薬的な効果をもたらすようだ。一度使い始めてしまうと問題に直面した途端に思考が停止し、同じ結び方で終わってしまうようになるらしい。使うまい・だまされまい、用心用心。

 突然、何でこんな話を? と思われるかもしれないが、今日テレビを見ていたら、上のような効果を狙った表現を使っている場面に遭遇したので、この話題を思い出してしまったのだ。
 あー、今日は危険なレトリックの例を紹介しようと思って書いたのだが、実際には単なるボヤキですね(^^;)。


5/29(金)

 21日と23日に寝付きと寝起きの話を書いたので,今度は眠っている最中の話を書くことにする.
 眠りが浅いのか,夜中に何度も目が覚める.大抵の場合,夢の途中で気が付くのだが,なぜかあまり良い夢を見たことがない.淫夢や願望充足の夢ばかりなら眠るのが楽しくなりそうだが,たいていの場合は気味の悪い夢である.
 頻度が高い夢をざっと挙げてみると….

  • 蜘蛛が口の中に入る夢
    これが最も多い.どのパターンでも生でまるごと口に入る.八本の足が舌や上顎にあたり,何とも言えない感覚である.ゴキブリが間違って口の中に入ってしまっている時に夢を見るのではないかという説もあるが,我が家にゴッキーはそれほどいない.
  • 髪の毛の束を食べる夢
    細くて長い大量の繊維が口の中に充満し,かみ砕くこともできない.そして飲み込むこともできず,嘔吐感を感じる.抜けた自分の毛が口に入っているだけじゃないかという話もあるが,最近確かに抜け毛が多いとはいえ,束というほどのものではない.
  • 歯が抜ける/砕ける夢,または自分の歯を噛み砕く夢
    自分の歯で自分の歯をバリバリと噛み砕き,砕けた歯の残骸が口の中に多数転がる.精神的にも感触的にもかなり気持ち悪い.
  • 外出したくともできない夢
    出かけようとする度に細かいヤボ用を思い出す.用事はすぐに済むのだが,それが際限なく続く.精神的にこたえる.
  • 殴り合いをしている夢
    やられるときもあれば,やってしまうこともある.時として,歯に関係した夢との複合パターンになることがある.
  • 逆立ちしたまま眠る夢
    この夢ではかなりつらい思いをするので,一番見たくない夢である.
 どうも「口」に関係した夢が多いようだ.
 夢判断とか夢占いは全く信じていないのだが,そういった専門家に見せたとしたら,果たして何を言われるのだろうか.興味はある.
 ちなみに今朝はアメリカの各州と州都の名前を思い出している夢だった.おかげで今日はアイダホ州の州都とウィスコンシン州の場所を調べることになった.

 ところで,文字が小さいうえに一行の文字数が多くて読みにくいという指摘を受けたので対応した.これらの条件はブラウザの設定でいくらでも変わり,しかもIE/NNともにフォントサイズは簡単に変えられるため,あまり(/全く)気にしていなかった.しかし,手間をかけさせてしまうのは不本意だ.
 現状ではデフォルトの設定でブラウザを使っている人が圧倒的に多いようなので,今後はその設定を前提として考えることにする.
 ところで,Netscapeのデフォルトって,異様に文字が小さいと思いません?


5/28(木)

 自動改札のエラーメッセージで耳にするというと,出るときの「乗り越しです.精算してください」か,入る際にプリペイドカードを間違えた時の「この切符(定期券)では入場できません」くらいだろうか.裏が白い切符を入れると「係員のいる改札にお回りください」と喋るが,自動改札機への対応が進み,あまり耳にすることがなくなった.
 昨日,自動改札に大勢溜まっていたのだが,なぜか先に進まない.そして異様な頻度で「ピィ〜ンポォ〜ン」というエラー音が聞こえていた.何かと思って見てみたら,私が並んでいた改札でそれが起こっているらしく,2人に1人の割合でエラーが起きていた.次々にエラーを出しては戻ってくるので,進まないことはなはだしい.その時は「何やってんだか」とか思いながらも,「沿線で何かイベントでもあって,乗り越し精算客が多いのかな」程度の理由しか思い浮かばなかった.だが,自分の番になって本当の理由がわかった.勢い良く出口が閉まり,液晶に「磁気異常」と表示されて「ピィ〜ンポォ〜ン,係員のいる改札にお回りください」と喋ったのだ.このエラーメッセージを久しぶりに聞いた.
 これは絶対におかしいと思い,隣の改札に回ってみたら見事に通った.
 私が通った後もその改札には人が並び,「ピィ〜ンポォ〜ン,係員のいる改札にお回りください」というメッセージが延々と発せられ続け,苦り切った顔をした乗客の発する舌打ち音だけが聞こえ続けていた….
 要するにセンサが死んでいたのである.しかし,なぜ2人に1人が撥ねられているという状況を職員が放置していたのだろうか.ほぼ半数に対してエラーを起こすような機械は即刻使用中止にすべきだと思うのだが.
 私が改札に出る階段を登る前からエラー音は聞こえていたので,この瞬間になって急に壊れたものではなく,ある程度長い時間にわたってエラーを出し続けていたと考えられる.仮に急に壊れたのだとしても,こんな頻度でエラーが起こっていれば,すぐにおかしいと気が付くはずだ.飛んできて止めればいい.
 それとも止められない理由でもあったのだろうか.だが,これもおかしい.改札機は他にもたくさんあるし,サービス員がメンテしているとか,使用中止になっていて使えない改札機を目撃することは結構ある.
 確かに,もしそこで撥ねられても他の改札機に回れば済むことなので,駅職員の側にとってすれば業務に支障は出ない.だが,「業務に支障が出ない」=「異常状態ではない」という式にはならないはずだ.
 しかし,職員はきっと同一だと思っているのだろう.こうとでも考えないと状況を説明することは(私にとって)難しいからだ.だが,改札機に撥ねられる客は,自分に落ち度が無いにもかかわらずエラー音を聞かされて嫌な気分になり,さらには後に並んでいる大勢の人を掻き分けて隣の改札機に行かなければならないのだ.上の論理は明らかに駅職員の一方的な都合にすぎない.
 ちなみに都営12号線光が丘駅での出来事である.
 ぼやきが続いてしまって申し訳ない.


5/27(水)

 恐ろしや恐ろしや.呪いかもしれない(とか言う私は無宗教).先週月曜日から続いていたSOABソフトウェアとの戦闘に光明が見えたかと思えた日曜日,思いっきり凄い反撃をくらった.
 いきなり地獄の青い画面になり,再起動したらセーフモードで立ち上がってしまった.それから三時間,無駄な格闘を続け,なんとか起動するようにはなった.しかし現時点に到っても完全な復旧は出来ていない.実のところ,予算不足からシステムバックアップ用のストレージが用意できていないため,このような状況になると自力でコツコツ解決するしかないのだ.
 また,4GのHDDを使っているのだが,Linuxだの別バージョンのWindowsだの諸々のOSを突っ込んでいるためにあまり空きもなく,別パーティションにバックアップすることもできない.
 ちょっとしたことなら他の環境を使えば済むので特に困りはしない.また,データは別のドライブにしてあるし,バックアップもとっている.壊れても実質的な被害は少ない.
 だが,ロシア語環境とか自作/改造ツール類の再構築,コンパイラやOffice Suiteの再インストールとなると気が遠くなってしまう.したがって最も安全かつ確実な修復方法――HDDフォーマットから始める再構築は絶対に避けたい.
 奥さんはその様を見て「わけのわかんない改造したり,むやみにインストールするからでしょ」と言ったが,キーボードに必殺スライスチョップをぶち込む寸前になっている現状を考慮し,追加予算を承認した.溺れる寸前に酸素ボンベが投げかけられたといったところか.浮き輪のほうがありがたいが,選択の余地はない.
 さて,何を買おうかな.


5/23(土)

 一昨日、寝るときのことを書いたので、今度は起きるときのことを書く。私の寝付きはたいへん悪いが、寝起きはもっと悪い。放っておくと12時間でも平気で寝てしまう。したがって、起きるためにはそれなりの工夫が要る。
 まず頭を覚醒させなければならない。そのためには考え事をするのが一番である。騒がしい音楽を聴くという手も考えられるが、私の場合、一昨日書いたように、寝るときにそういう音楽を聴いているので逆に危険である。
 というわけで考え事をして起きるようにしているのだが、容易に答の出せない問題について考えると、すぐに投げてしまって再び寝入ってしまう可能性が高い。したがって、すぐに答が出るはずなんだけど、思い出せるか/出せないかギリギリのところにある記憶を探ることにしている。たとえば、今日は百人一首の蝉丸法師の歌を思い出した。他に最近の問題を紹介すると、「黒く塗れ」の歌詞、スーパー戦隊シリーズ全部、クィーンのメンバー全員、007シリーズの全タイトル、ロシア語単語の格変化全部などである。
 ここで最高なのは、確信をもって正確に思い出せないときである。気になって飛びおき、調べ始めることになるからだ。こういう類の問題が一番気になるのだ。
 逆に危険なのは、すぐに思い出してしまったときである。安心して寝入ってしまう危険性や、次の話題を考えているうちに寝入ってしまう可能性があるからだ。
 前日にメモでもしておけと言われそうだが、それをやってしまうと寝る前に答を考えてしまうので起きた瞬間に考えなければならない。したがって最もマズいのは、眠気が強すぎて問題すら考えられない時なのだが、これは例外として目覚し時計で自分の頭を殴ることにしている。だが、これはかなり大きな音がする、またはダメージが大きいといった短所があるので毎日はできない。
 有効な目覚め方、誰かご存知ないでしょうか?


5/22(金)

 やられた.西武線に乗っていた女子高生二人の会話にヤラれてしまった.以前にも書いたが,私は暗示にかかりやすい性格――すぐに言葉に支配されてしまう性格なので,一度頭に刷り込まれてしまうと,なかなかそこから離れることができない.その状態を何とか整理するために,ここでまとめてみる.
 というわけで,その女子高生の話.服装・髪型は極真面目,鞄からPッチやベルをぶら下げているのは「普通」の領分だろう.特徴的といえばルーズをはいていることくらいか.
 極普通の女子高生の会話を続けていたのだが,ある駅で一人が降りるらしく,話を途中でうち切ったのだが,降りる子が別れ際に一言「続きはEメールで送るね」.
 PC熱が高まり,実際に普及率が上がっている状況を考えると珍しくもないことなのだろう.ここで驚いてしまうのは,私の認識がまだまだ現実に追いついていないというだけの話である.だが,PCはユーザーに要求されるスキルがまだ高く,しかも家電並の価格ではないことを考えると,その子は「持てる者」の立場にいるということになる.驚く以上に正直言って非常にうらやましかった.
 持てる者/持たざる者といった不公平が発生するのは仕方がない.したがって愚痴を言っても何がどうなるというわけではない.物質的/精神的両面での豊かさに対して素直に驚嘆し,うらやましいと思ったのだ.
 個人的な話になるが,なにぶん貧乏と無教養を典型化したような環境で育ったため,物質的にも精神的にも「豊かさ」への憧れが非常に強い.自宅にはテレビを除くとローカル保守新聞女性週刊誌程度のメディアしかなく,知識や情報の収集をしたくても出来なかった.当然のことだが親にその要求が無い以上,子供に与えられるはずはない.そのため大学生になって一人暮らしを始めた途端,全てのタガがはずれ,百科事典にはじまり,大型辞書,ビデオ,PC,ファミコンなどをすぐに揃えた(^^;).
 SFに関心をいだいたのは,その少し前のことだ.SFはある面,「豊かさ」の具現と「豊かさ」への警鐘という両面を扱う,「豊かさ」を考察するジャンルであるため,私は引きつけられたのだ.この「豊かさ」という言葉は,物質的な意味では「文明」,それを実現する手段として「科学・技術」,精神的な意味では「文化」,生活とのつながりという意味で「社会」と単純に置き換えることができる.SFは私の「豊かさ」に対する憧憬と渇望感を満たすものであったのだ.
 女子高生の会話に感じたうらやましさと,私の「豊かさ」に対する渇望感は同じ物だ.というわけで,女子高生の会話から,久しぶりにこのことを思い出した.
 今日は陳腐な話になってしまった.まことに申し訳ない.だが,本人にとっては重要なことなので,書かせてもらった.


5/21(木)

 月曜日の後遺症が続いている。未だにド腐れソフトとの格闘が終わっていないのだ。おかげで更新をさぼってしまった。

 私の寝付きは非常に悪い。どんなに疲れていても、目が痛くて頭が半分以上ボケようとも、なかなか寝付かない。普通に部屋を暗くして寝転んでいるだけなら睡眠に入るまでに一時間はかかる。そして放っておいたら朝まで平気で起きている。
 そんな私の必勝就眠法が、「大音量で音楽を聴く」ことである。これはラジオでも可。要するに、寝ようとして部屋を暗く・静かにしてしまうため、逆に集中して考え事を始めてしまうのではないかと考えたのだ。ならば音楽のみに深く集中し、音楽の中に浸り込んでしまえばいいと、一度試してみたら止められなくなってしまったのである。おかげで今は20分くらいで睡眠に入ることができるようになった。
 この方法の場合、音楽だけに集中しようすると音量を上げる必要がある。試しに音量を絞ってみたら、聞き取るという行為にのみ神経がいってしまい、効き目が少なかった。しかも寝ようという時間なのだから当然、夜中のことなのでヘッドホンをかけて超大音量で聞くことになる。脳内に音が洪水のように溢れてきて、非常に気持ちよく眠りにつくことができる。
 ちなみに、これがどのくらいの音量かというと、奥さんが夜中、変な音が結構な音量でしていたために目覚めしまい、何かと思って調べてみたら、隣の部屋で私が寝ながら付けていたヘッドホンから漏れていた音だったというくらいのものである。
 しかも私はクラシックやバラード、ポップスなどが全く駄目で、ハードロック、ヘヴィメタル、バンクなどしか受け付けない。試しにクラシックを聞いてみたことがあったが、すぐに寝転んですらいられなくなった。はやり好きな音楽でないとリラックスすることも集中することも出来ない。したがって、普段でも理解の無い人からウルサイと言われがちな曲を聞きながら眠っているのである。ちなみに最近ではザ・スターリンのベストコレクションが定番となっている。
 この話を誰かにすると、「嬉しそうに殻付きホヤを解体している私に対して奥さんが投げかける視線」と同じ種類の視線を感じる。しかし、世の中は広い。こうやって書いておけば、きっと同じ習慣を持つ人が一人は現れるに違いないと信じている。寝付きの悪さに悩んでいる方、一度試してみてはいかがだろうか。ただし、効果の保証はしかねるので、そのへんはあらかじめお断りしておく。


5/18(月)

 ざけんじゃねーよ、コラッ! なめとんのかぁ、ワレェ! といきなり凄んでいるが、実は大変なことになっているのだ。
 まず、とあるパッケージソフトを買った。パッケージを買うときには、もちろん動作環境を確認した。問題はない。そしてインストール。おや?動かない。いじくってみる。やっぱり動かない。マニュアルには何も書いてない。ひょっとしたらと思い、Webを見てみると「インストーラにバグがあり、XXの設定をOOしないと正常にインストールできません」。ここでダメージ20。
 気を取り直して再インストール。今度は途中まではいった。ある程度使える段階だ。そしてソフトのある機能を起動した途端…落ちた…。なんでやねん! 設定をいじり、マニュアルを見たが不明のままである。おや〜と思い、再びWebへ。
 すると問題はすぐに解決した。「HHHH(ハードウェア的な仕様の名前が入る)には対応しておりません。サポート外になりますが、BBBB(別ベンダ)のJJJJJをお使いください」。なんだってさ。ここでダメージ20000。だったら箱に書いておけよ。完璧に舐めてるね。
 製品を作り、ユーザーから金を取るという行為を何だと思っているのだろう。最近、マニュアルを親切にするとか、ユーザーに間違いを犯させないような工夫を行っているメーカーが多い中、良い度胸である。
 実のところ、こういうメーカーに文句を言う気はあまりない。中途半端な製品を作り、不親切な説明しか出来ないような会社に文句を言っても、往々にして答えるだけの余裕が無く、逆に腹が立つだけで終わってしまうからだ。ここは諦めるしかあるまい。
 というわけで、しばらくは調整のため、リバースめいたことを行うことになりそうだ。それで駄目なら対応してくれるのを待つしかあるまい。悪名も有名のうちなので、製品名・メーカー名は書かない。


5/16(土)

 今日の早朝、大阪で制作されたと思われる番組が放送されていた。何でも、若者二人が凍り付いた間宮海峡をロシアからサハリンまで歩いて渡るという話だ。うーん、うらやましい限り。
 実を言うと、恥ずかしい話だが同じような計画――手こぎボートで千島海峡を渡るという計画を実行しようとして、しくじったことがある。いつも冗談めいた思い付きを人に話しているので、またかと思われていたようだが、本人は実行するつもりでいた。今まで冗談だと思われた話でも実際には三割程度の確率(低いなぁ!)で実現してきているわけなので、特に無茶を言い出しているつもりはなかったのだ。というわけで、ヨットの専門家に相談を持ち掛けたところ、話を聞きおわらないうちに「あそこは絶対に無理」という一言で済まされてしまった(^^;)。
 で、その間宮海峡の話。まさか凍結した海上でドツキ漫才を見られるとは思ってもみなかった。立ち小便した上にコケるは、喧嘩を始めるは、イグルーを作ったら上手くいかないでメタメタの状態。思いっきり後ろ向き、かつ感動が無い。こういう話の場合、本人たちに気合が入ってしまって必要以上に前向きになり、最後は盛り上がってしまうものなのだが、そういった要素が全く無いのだ。私はその点が非常に気に入った。
 実のところ、冒険的な行為に変な意味を持たせすぎているような風潮が気になっている。本来なら行為そのものが目的なのであって、感動とか人生勉強とか見分といったものは全て後から付いてくるものだと思っているからだ。気を抜くのは危険だが、気を入れる方向が違っているように思えてならない。


5/15(金)

 「プライド 運命の瞬間」の電子パンフレットという商品を人から戴いた。一部でのみ賛否両論を巻き起こし、一般的にはほとんど注目されていないという例の映画である。まぁ作品が作品だけに見るべきものは入っていないと簡単に予想されたのだが、せっかくだからと少し中を覗いてみた。
 この商品はCD-ROMにセットの写真やスチル、予告編やインタビュー、脚本を収録したという構成である。セットやスチルはともかくとして、その他はやはりある意味で強烈な内容だった。
 まず、少し考えを巡らそうかと思いながら見始めた予告編では、引いてしまって何も考えられなかった。気を取り直し、やはり何か意見を言うためには最低でも脚本くらい読んでいなければと思って読みはじめたのだが、途中であきてしまった(^^;)。そして小林よしのりのインタビュー(なぜここに?)にいたっては最初の数秒見ただけで止めてしまった。
 この映画は、そもそも何か言うとか、共感/反感を感じる、または何か議論するという以前の問題をたくさん抱えていることがわかった。まずは眠らずに全部観ることが果たして可能なのかどうかを問題にしなければならないかもしれない。
 確かにこの映画を面白い/素晴らしいと言う人もいることだろうと思う。しかし、話がここまで来てしまうと、あとは主観の違いと言うしかない。したがって話をしようにもおそらく接点は見つからないだろう。というわけなので、今後は何も言わないことにしよう(^^;)。


5/14(木)

 核実験だそうで….よくやるものだ.軍事には疎いので私の認識はいい加減なものなのだが,現時点での核兵器など軍事・外交上の『見せ金』としての役割しか果たしていないのではないかと思っている.当事者にすれば,「作って持っているだけでOKッス!」といったところか.実験が成功してさえいれば,あとは外見だけの存在でも他国に対しては効果を発揮するんじゃないかとすら考えてしまう.もっともこれは他国の諜報機関をごまかせればの話だが.
 というわけなので,実際に効力を発揮できる弾頭は無駄な代物という認識しかない.現在ロシアが持て余しているようだが,張り子の虎にしては重すぎる代物だ.
 インドの実験は本当に弾頭を作る/作らないにかかわらず,威圧行為としてかなりの効果を発揮することだろうが,問題はたかが見せ金のためだけに有害な実験をバカスカ行ってしまうことだ.何をするにしろ有害なのは困る.それに対抗するアメリカ等が相変わらず自分を棚に上げた独善的な姿勢を見せているのも頭の痛くなる話ではあるが.
 というところで今日の本題.
 今回の事件に関し,「アメリカもソ連も過去に実験をやったじゃないか」という論法は,確かにある程度の説得力があるように思えてしまう.だが,残念ながらこれは聖書に出てくる「あながたのうちで罪のない者が,最初に彼女に石を投げなさい (ヨハネによる福音書) 」に代表される相殺論法にすぎない.この論法では殺人も立ち小便も同じにされてしまう.したがって,程度を考えない単純な相殺は非常に危険だ.うわべの理屈だけで言い返すのではなく,時と場所と状況をしっかり認識して議論しないと際限なく論点がずれ始めるてしまう.同じ事であっても時・場所・状況が変われば正解にも間違いにもなってしまう以上,これは重要だ.
 たとえば日本の捕鯨が問題になったとき「アメリカ人だって牛を食べているじゃないか」という反論があったが,これも同じ理由でまずいやり方だった.確かに欧米のいちゃもんは非常に腹の立つ言いがかりにすぎないが,この反論は無いだろう.その当時,
  USA「日本人は鯨を食べるから野蛮だ」
  日本「お前らだって牛や豚を食べているから野蛮だ」
  USA「だったらお前らだって牛や豚を食ってるじゃないか,だとすると日本人はやっぱり(さらに)野蛮だ」
というギャグがあった.これは起点となっている問題の是非はともかく,それに対し相殺によって反論しようとしているところから間違いが始まっている(この場合には相殺しようとしている部分に自己言及が入ってしまっている点でさらに救いようがない).これは相殺によって議論が流れる典型であるとも言える.今回,散見される先の理屈にはこれに近いものがある.
 また,事態を単純化しすぎると非難されそうだが,そもそも過去に起こってしまった「正しくないこと」に対しては,普通ならそこから素直に学ぶべきであって,自分が「正しくないこと」を行っても良いという理屈は常識的に通用しないとも思う.ここで本当に核実験が「正しくないこと」なのかどうかという話になるが,

  1. 世界的に核実験は行わないという流れになってること
  2. 近いうちに行われる可能性がある報道されているパキスタンの核実験に対し,インドがそれを「正しいこと」と認識するとは考えにくい
といった理由により,核実験はやはり「正しくない」と言っても良いと考える.
 話はずれるが,学生時代,少しは新入生に物を考えさせようという意図からか上級生も交えて議論が行われた.物理学科だったので「核実験」が議題に選ばれのだが,その時,ある院生が「歴史的に見て科学技術の発展には『犠牲』が必要なのだ」と真顔で言ったので引いてしまったことがあった.こういうことを考える人もいるんだよねー.少なくとも今回の件に対し,こういう発言をする人が出ないことを祈りたい(もっとも私は無宗教だけど).

 昨日は書いたのだがアップするのを忘れていた.ローカル環境でチェックしたのだが,そこで何を勘違いしたのか,安心して電源を落としてしまった(^^;).


5/13(水)

 再び役に立つ「ガリバー旅行記」の話.コンピュータを扱う人はニヤリとする話題である.
 以下の文章は作品が書かれた当時の宗教対立を皮肉ったものだ.日常的に使っているエンディアンは,もともとこういうアホらしい話から言葉が来ている.だが,コンピュータのエンディアンが違うからと言って戦争する人はいない.要するに宗教とか信条の対立などはその程度の話に端を発することが多いのではないかと言うことで.
 出典は,第一部「小人国」第四章.

It is allowed on all Hands, that the primitive way of breaking Eggs, before we eat them, was upon the larger End: But his present Majesty's Grandfather, while he was a Boy, going to eat an Egg, and breaking it according to the ancient Practice, happened to cut one of his Fingers. Whereupon the Emperor his Father published an Edict, commanding all his Subjects, upon great Penaltys, to break the smaller End of their Eggs.

(中略)

It is computed, that eleven thousand Persons have, at several times, suffered Death, rather than submit to break their Eggs at the smaller End. Many hundred large Volumes have been published upon this Controversy: But the books of the Big-Endians have been long forbidden, and the whole Party rendered incapable by Law of holding Employments.

(中略)

For the Words are these: That all true Believers shall break their Eggs at the convenient End: and which is the convenient End, seems, in my humble Opinion, to be left to every Man's Conscience, or at least in the power of the Chief Magistrate to determine.

すべからく,本来なら卵を食べようとする際には大きい側を割る.であるのに今の陛下の祖父が幼少の頃,卵を食べようとするときにいつもの方法で割ろうとしたら指を切ってしまった.そんなわけで,父親である皇帝が勅令を出して全臣民に対し,卵の小さい側を割らないと厳罰に処すると命令した.

(中略)

しめて11000人の人間が数回にわたり卵の小さい側を割るくらいならと死に殉じた.数百を越える大著がこの論争に関して出版された.しかし,ビッグエンディアンどもの本は長い間禁書とされており,この一味は全員,法律によって公職につけないようになっている.

(中略)

聖典には「真なる信者は卵を都合の良い側で割るべきである」とある.で,どちらが都合の良い側かというと,私の愚見ではありますが,皆が判断する問題として残すか,少なくとも元首の力で決めることだと思われる.

 宗教問題で紛争している人々に見せてあげたいものです.「無礼者!」といって怒られそうですが(^^;).


5/11(月)

 本日発売の週刊朝日に注意欠陥多動障害(ADHD)に関する記事が掲載されていた.いじめる側もいじめられる側も脳の障害が原因だったという内容である.詳しいことはわからないため,これが合っているのかどうかの判断はつかないが,納得して読める内容だった.ADHDに関して「のび太・ジャイアン症候群」(司馬理英子著,主婦の友)という本が出ているらしいので読んでみたい.
 で,本題はここから.その記事の中にADHD診断項目の例として18項目挙げられていたのだが,その項目の内容はともかく表現が少し気になった.これは失礼な書き方をしているとか,無神経な内容という意味ではなく,言葉の選び方が気になったという意味だ.そこに挙げられていた18項目のうち,何と13項目に「しばしば」という表現が使われていたのだ.たとえば「しばしば綿密に注意することができない」という文だ.なかなか異様な文面だと言わざるを得ない.
 米国精神医学会作成と書いてあるので英語からの訳だろうが,これの元はoftenかfrequentlyだと思う.たぶん,英語が初めて日本語に訳されたときには「しばしば」という表現が日常的に使われていたのかもしれないが,今となっては訳文以外で見たことはない.実際,最初から日本語として書かれた文章の中で「しばしば」という表現を見たことは,あまりない(見ているが単に忘れているだけかもしれない).
 意味を取り違えないために機械的に言葉を移し替えるという行為が重要になってくる局面は確かにある.しかし,辞書に載っているというだけの理由で日常的に使わない言葉を当てはめ続けるのは考え物だと思う.凄いのになると"very often"――「非常にしばしば」というわけのわからない表現すらある.これはせめて「頻繁に」とか「かなりの頻度で」くらいに言い換えてほしいものだ.
 みんな知ってはいるけれど誰も使えないという表現で書き下されるのは問題があると思うが,いかがだろうか.

 ところで,同じような話として,知ってはいても使わない言葉はたくさんある.個人的には一度で良いから「あまつさえ」という表現を使ってみたいのだが,機会がないまま三十数年経ってしまっている.そもそも大岡越前や遠山金四郎,怪傑スバット(^^;)以外が使っているのを聞いたことはない.その他にも副詞としての「いきおい」とか「げに」,述語「貶する」など,そのような言葉がたくさんある.これらは全く使わないとか,忘れられた言葉というわけではないと思うので,死語とまでは言わないが,死蔵語とでも名付ければ良いのだろうか.
 だが,上のような死蔵語を使おうとするとギャグにしかならない場合もあるので,タイミングが難しい.死蔵語があまりにも真面目かつ適切に使われていたために笑ってしまったという例もある.「マジンガーZ対暗黒大将軍」は衝撃的な主役交代が印象深い作品だが,昨年暮れにその予告編を見る機会があった.マジンガーZが敵にボコボコにやられているシーンが続き,非常に生真面目なおじさんの声で「暗黒大将軍は強い.実(じつ)に強い」というナレーションが入る.そしてまたボコボコにされるシーンが続き,再び演技力十分な声で「暗黒大将軍は強い.実に強い」とナレーションが入るのだ.使い方が間違っているわけではないし,声の当て方も真剣そのものだ.だが,画面に映っているマジンガーZと,大上段に構えた「実に」という表現のギャップ,これには笑ってしまった.当時としては適度な使い方だったのだろうが,今の感覚で聞くと死蔵語と化した「実に」のポイントが高くなりすぎるのだ.というわけで死蔵語を使うのは非常に危険なので,しばらく使うタイミングを見計らうことにしよう.
 この「実に」だが,あまりにもインパクトが強すぎたため,以前紹介したデスクリムゾンの「せっかくだから」と並び,口癖になってしまったことは言うまでもない.


5/10(日)

 空更新かなぁ〜と思いきや、


 また何か線が! 今日のコメント部分は覚悟がいるかもしれません。


5/7(木)

 スウィフトの「ガリバー旅行記」は私にとって最高の愛読書である.この本ほどいろいろと誤解されるのも珍しく,児童向けに書き直された小人国や巨人国のイメージで見られるか,フーイヌム(馬人)の国のような超人間憎悪のイメージかのどちらかであることが多い.「ガリバー旅行記」が愛読書だと人に言っているが,冒険ファンタジー好きか,ただのシニカル野郎だと思われているだろうと思う.
 確かに,フーイヌムの国の脱力感には捨てがたいものがあるが,私が最も好きな部分は,小人・巨人国と馬人国の間にはさまれる形になってしまい,あまり評価されていない第三部である.この第三部にはアニメのタイトルにもなったラピュタが出てくるが,実は本書の中で最も馬鹿馬鹿しく,おちょくりが効いている部分なのだ.
 「ガリバー旅行記」はインターネットのサイトで全文を読むことができるが,ちらちら見ていたら現在の政局に対して非常に参考になる部分を発見した.
 以下は「ガリバー旅行記」の第三部第六章,ラピュタが支配するバルニバービの首都ラガードにある大学での見聞である.原文はともかく,訳本から引用したら何か言われそうなので,かっ飛ばしで日本語にしてみた.

You take an Hundred Leaders of each Party, you dispose of them into Couples of such whose Heads are nearest of a size; then let two nice operators saw off the Occiput of each Couple at the same time, in such a manner that the Brain may be equally divided. Let the Occiputs thus cut off be interchanged, applying each to the Head of his opposite Party-man.

(中略)

that the two half Brains being left to debate the Matter between themselves within the space of one Scull, would soon come to a good Understanding, and produce that Moderation, as well as Regularity of Thinking, so much to be wished for in the Heads of those who imagine they come into the World only to watch and govern its Motion…

それぞれの政党から首脳を百人ずつを連れてきて,頭の大きさが似通ったヤツ同士の組に振り分ける.それから腕の良い手術者二人に,それぞれ組になっているヤツの後頭部に同時に鋸を入れ,脳を等分するように切り取らせる.そして切り取った後頭部を交換し,組になっている党員の頭に張りつけさせる.

(中略)

脳の半分ずつが頭蓋骨の中でお互いに論争してくれることにより,少しすればお互いの理解が得られ,中庸でなおかつ調和のとれた考え方を産み出す.これは自分たちが世界の動向を監視・支配するためにのみいるのだという妄想を持った連中の頭にとって非常に望ましいことである…

 つまり簡単に要約すると,政局を混乱させている人々を集め,全員の頭を縦にカチ割れと言っているのである.非常に示唆に富んでいる(違うだろ,オイ!).

 この章には他にも非常にタメになる文章が多い.たとえば次のような文章である.
 Because Men are never so Serious, Thoughtful, and Intent, as when they are at Stool, …
 またまた強烈な文章ですみません(^^;).


5/6(水)

 SFオンラインの特集「SFイエローページ200」のなかで表ページ「蝸牛地帯」が紹介されている.ありがたいことです.
 そこにもあるようにこのページの開設1995年秋.まだ三年も経っていない.昔の会報など古いうえに稚拙でダサく,随分と昔のような気がしてしまう.
 だが,見た目こそどうしようもないが,始めた頃にはMosaicやEmacs,LYNXでも問題なく見られることを大前提として全部に改行を入れたり,プリミティブなタグしか使わなかったりと,今とは比べ物にならないくらい気を使っていた.それが今ではIE3.0で見られればOKにしているわけなので,過去のソフトウェア資産に対する尊敬や気配りが無くなってしまったということになる.うーん,傲慢になっているのかもしれない.
 とはいっても,今更Mosaic対応にする気は起こらないが(^^;).


5/5(火)

 三日間ほどヘロヘロの状態で過ごしてしまった。楽しいからといって徹夜などするものではない。おかげで火曜日になるのに日曜日の疲労が取れていない。そのせいもあって今日はCSでサンダーバードだの、プリズナーNo.6だの、DS9、ミステリーゾーンをボンヤリと見続けることになった。だが、考えてみると、これがオタクにとって最強の疲労回復手段かもしれない。(^^;)
 頭の中に「不純物」とか「老廃物」が充満していそうな気がするので今日はこれだけということで。


5/2(土)

 4/28に書いたジャスミン茶の続き。ジャスミン茶で体臭を変えるには一年間飲み続けなければならないということが詳しい人からの指摘でわかった。大変な話である。五臓六腑、細胞の隅々にまで匂いのエキスを行き渡らせないと効果が無いらしい。
 私的な話題で申し訳ないが、私は一日で非常に大量の水分を摂取する。缶ジュースなら5本ほど飲んでしまう。つまり一日に350ミリリットル*5で、1.75リットルのジャスミン茶を摂取することになる。この換算で一年間続けるとすると、638.75リットルのジャスミン茶で体臭が変わることになる。このための金額を計算すると21万9千円かかる事になる!
 排泄物の匂いを消す薬という飲む香水以上に凄い薬が存在するが、その薬を使ってまで匂いに注意したい人にとっては、ジャスミン茶を一年間続けることくらい楽な事なのだろうが、とてもこれは面白半分でやれることではない。
 そこで奥さんの提案。「毎日、ジャスミン茶を入れるから、水筒で持ち歩くように!」だそうだ。想像して欲しい。水筒を肩から斜めにかけて西武線に乗り込む三十男の姿! 大学時代、フルフェイスヘルメットに革つなぎという姿でスクーター通学をしている奴がいたが、それとどっちが恥ずかしいだろうか。
 そもそも、体臭がいつも体内に有る強い匂いの成分に支配されるというのも凄い話だ。もしそうだとしたら人間の誰からも体内で最も強い匂いを発する「大きい排泄物」の匂いがしそうなものだが*1

*1 これはただの悪ふざけなので、本気にしないように。まぁ、悪質過ぎるかもしれないが…

 会報の番号を付け間違えた――というか計算し間違えていたのに今日気がついたので訂正。あー恥ずかし。(^^;)


5/1(金)

 会報に記事を追加しました。今日はそれだけ(^^;


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