昔の独り言……(8)


10/30(金)

 友人より伝説のクソゲー、またはキング・オブ・クソゲーと言われる「デスクリムゾン」(以下、デス様)を借りた。デス様を持っているということを聞いたと同時に「貸して!」と言っていたような気もする。
 その翌日、電話がかかってきて「昨日ディスクを探したんですけど〜、本当にいいんですかぁ〜、これ、かなり狂ってますよぉ」と言ってきたのだが、「だからいいんじゃん」と答えた。このようして私はデス様をプレイできることになったわけである。
 今まで何回かデス様のことは書いたのだが、実際にプレイしたわけではなかったので、デスクリムゾンリンク集 せっかくだから、俺はこのリンクを選ぶぜの紹介程度のことしかできなかった。しかし、これで何でも書ける(^^)。デス様ページをつくってデスクリリンク集に入れて貰うことだって可能になるわけだ。これは嬉しい(本気)。
 で、実際にプレイしてみて意外だったのは、デス様が想像以上にスゴイ出来でだったことだ(^^;)。有名すぎるオープニングだけで腹がいっぱいになってしまう程で、プレイを始める頃にはクリアなど、どうでもよくなってしまう。しかも、ゲーム自体がすでに不条理としか言えないほどの難易度(ゲームシステムそのものも不条理だが)で、未だに一分以上プレイできていない。さて、果たして私はボスキャラまで行き着くことができるのだろうか?

 ところで、有名なデス様ページである赤の断章には、何とデス様の開発元であるエコール社の封筒写真が掲示されている。見てもらえばわかるのだが、ロゴのレイアウトがスゴイ。これでは、いったい何のために郵便番号用の枠が存在しているのか、まったくわからないのだ。枠の中に、まともに郵便番号を書いたとしたら、不自然でないように宛先住所を書くことが至難の技になる。つまり、住所を書き入れた時のことをまったく考えずにレイアウトしたとしか思えないのだ。確かエコール社はCADメーカーのはずなのだが…。このセンスがデス様を作り出している。
 赤の断章には、封筒写真のほか、信じられないことにエコール社にアルバイト面接に行った時の模様をレポートした文章が掲載されている。これなどはいささかやりすぎかと思うのだが、しかし、かなり笑えるので、ご覧いただきたい。

 結局、デス様を借りて何が良かったかといえば、スゴイものを見られたこと以上に、我が家で「コンバット越前」と言うだけで受けがとれるようになったことや、焼きビーフンが特別な食事になったこと、常套句として「せっかくだから〜」や「くっそ〜」が通じるようになったことだろうか(^^;)。我が家には「デス様文化」が根づいているのである。


10/29(木)

 今朝,新聞を見たら週刊新潮の広告が掲載されていたのだが,「出所した愛犬家連続殺人『共犯者』 戦慄の告白手記1」というタイトルの左側が真っ白だった.このタイトル自体が広告の最も左側に位置していたため,かなり目立つ空白だった.
 気になったので他の新聞を見てみたら,その新聞には載っていた.曰く,「サイコロステーキみたいに細かくカットされたピンク色の人肉は,まるで桜の花が散るみたいに川面に吸い込まれていった」.オイオイ,やめよーよ,こーゆーの.
 朝日と日経は削除したとのこと.

 相変わらず朝日新聞夕刊の「Mr.ボオ」が暴走している.あの退屈さ(シュールさ?)をずっと維持し続けるという姿勢は,すでに「暴走」だと言える.「Mr.ボオ」に何か秘密があるのではないかと疑い,4/18にいろいろと書いたが,今は考えを変えた.「Mr.ボオ」は,あのままで良いのだ.あれが完成形なのだ.
 「Mr.ボオ」は毎日我々に生の不条理,理解し得ない事象を提示し,読む者すべてに高度な思考を要求する.そして結果が出ないことによって読者は不安に陥り,日常性を揺さぶられることになる.これは芸術に求められる使命の一つである.
 そして,「Mr.ボオ」において我々は,小さくて薄いストーリーの断片を毎日少しずつ読むことが強いられる.その小さくて薄い断片が,毎日繰り返えされることによって「Mr.ボオ」は成立している.つまり毎日掲載される「小さくて薄いストーリーの断片」は,研ぎ澄まされ,余計なものがそぎ落とされた「Mr.ボオ」という作品の最小単位であり,それがほぼ24時間ごと定期的に提供されるという特異な鑑賞形態によって「Mr.ボオ」という表現が完成されているのだ.そういう意味において「Mr.ボオ」はミニマリズムによって表現されている作品であると結論付けられる.ミニマリズムの表現を漫画においてなしとげ,新聞連載の特性を見事に使い切り,作品を成功させているという点で,「Mr.ボォ」が我々にもたらす衝撃はジョン・ケージの「4'33"」に匹敵すると言わざるを得ないだろう.
 このように,芸術作品として見た「Mr.ボオ」の影響は大きく,かつ広い.読む者誰しもが,その影響から自由ではいられない.つまり「Mr.ボオ」は,表現物として絶大な力を発揮しているのだ.    (ああ,最近少し疲れているようだ…)
 というわけで,私は早く単行本が出ないものだろうかと心待ちにしている.単行本ではまとめて提供されてしまうため,ミニマル芸術としての衝撃は少し薄れてしまうのだが,日常が揺さぶられる感覚をまとめて体験することができる.ただし,そんな凄い体験をしてしまうと,他の表現物では満足できなくなってしまう危険性はある.
 同じく,朝日新聞朝刊の「ののちゃん(となりの山田くん)」をジブリがアニメ化するので,対抗してトロマ映画あたりが映像化してくれないだろうか.「死霊の盆踊り」なみの恍惚感が得られる映画となることだろう.不世出のカルト映画が誕生する.
 「芸術の秋」である.今年最もクールなアートは「Mr.ボオ」だ!(あと二ヵ月しかないけど)   (やっぱり疲れているのかもしれない…)

 昨日の続き.下の項目は昨日の分に書いたものなのだが,あまりにもナニかと思ったため削除した.しかし,なんだか気分がすっきりしないので復活させることにする.

  • 最低支持率の集団(?)から与えられている肩書きなので名乗るのが恥ずかしかった
  • 肩書きを与えてくれている集団(?)が,もうすぐ無くなると確信している
  • 今の時期に「経済政策の企画立案,総合調整」を行う組織のドンだと名乗ると,さすがに本の広告としてマイナスイメージになると思った


10/28(水)

 本日の朝刊に「人物20世紀」という本の広告が載っていた.本の広告で,著名人が写真入りでコメントをするというのは珍しくもないのだが,堺屋太一という人の肩書きをみてオヤッと思った.「作家・評論家」としか書かれていなかったのだ.少し前に騒がれた(まだ在職中の),例の肩書きはどうしたのだろうか?
 そこで,なぜこのようなことになったのか,可能性を考えてみた.

  • 本人,または広告を作った担当者が,例の肩書きは書くにも足らぬ些細なものだと思っている
  • 例の肩書きは多くの人が知っていることだから,奥ゆかしく書かなかった
     しかし,首相の名前や顔ですら知らない人々が増えているような状況下にあって,「誰でも私を知っているだろう」などという考えは単なる思い上がりとしか思えない.
  • 例の肩書きは誰でも知っているが「作家・評論家」の知名度はイマイチだと思っていて,アピールする必要性を感じた
  • 堺屋太一という人を言い表すとき,「作家・評論家」としての業績が大きすぎて,例の肩書きは霞んでしまうために書かなかった
 これらのうち,最後の可能性なら納得できる.なにせ『平成三十年』という素晴らしい出来の近未来コメディを書く作家なのだから当然であろう.この作品は本文をここから読むことができる.また,『平成三十年』の熱狂的なファンが作成しているページ(関連リンクが充実)や,詳細に紹介・解説しているページもあるので参照されたし.

 ところで一昨日の続き.「子連れ狼」(シトシトピッチャン…)や「日本印度化計画」(筋肉少女帯)などが使えるかなぁと考えたが,これ以上やると怒られそうなので中止する.


10/26(月)

 ニュース番組のおかげで林真須美容疑者といえばmikihouseのビッグロゴというイメージが出来上がってしまっている.今となってはワイドショーのほうが必要以上に詳しく細かく扱っているようなネタなのだが,ワイドショーに接する機会が無い私ですら林真須美容疑者=mikihouseを思うのだから,このイメージはかなり強いに違いない(根拠のない決めつけ).
 こういう事件が起こると商品や会社にとってはイメージダウンになると思いがちだが,今回はそうでもないらしい.逆にこんな可愛いシャツがあるのかと宣伝になったらしく,受けてしまっているとのこと(ネタ元:週刊朝日).まったく何が起こるかわからない世界だ.何でも『ヒ素T』という『俗称』までできているというのだから凄い.まったく趣味の悪いネーミングだが,語呂が良いことだけは認めざるをえまい.ピカチュウに近いものがあって馴染みやすい(だからといってこの俗称を使う気にはならないが).そしてジャワティーにも似ているが,この場合にはヒ素ティーのようであまり嬉しくない.
 ところで似たような話として,川俣軍司が履いていたことから白のブリーフを指して軍司のパンツ,略して「グンパン」とか称していたことがあった.確か「グンパン」には別の意味があるはず(意味がわからない場合には全文検索エンジンで検索されたし.確か現代用語の基礎知識にも載った)なのだが,どっちが有名な用法なのだろうか.ずっと気になっている.
 それはともかく,何らかの事件が話題になると,上のような言葉が作られるのと同じく,替え歌がいつも作られている.たとえば古いところでは「宮崎さん家のツトム君」とか「川俣軍司の歌(ひょっこりひょうたん島)」,「ノムラ(与作)」など,何かにつけ聞いた覚えがある(歌詞の問い合わせにはお答えしかねる).全くもって不謹慎極まりない世界だとは思うのだが,イジってみたくなる気持ちはわからないでもない.誰が作るのかは知らないが,良い悪いは別にして秀逸な歌詞ばかりでいつも驚かされる.悪趣味を白状するようだが,今回の事件がどのような替え歌になるのか(もうすでにあるのだろうか?),聞いてみたいような気がしないでもない.うーん,歯切れが悪い.

 試しに全文検索エンジンで「替え歌」と入れて検索してみたら,かなりの数がヒットした.結構笑える(時折やりすぎのものとか本気で酷いと思うものもあるが).よく考えるものだ.凄い.


10/25(日)

 7/12にハバネーロ(世界一辛いトウガラシの品種)を使ったタバスコのことを書いたが、ついにそれを入手することができた。
 食してみたところ、さすがにタバスコよりも遥かに辛いのだが、驚いたことに風味はハバネーロソースのほうが数段良かった。
 どうやらハバネーロだけで作ってしまうと辛すぎて実用的ではないため、バナナ・パパイヤ・マンゴ・トマト・大蒜・オニオン・タバスコ・カイエン・砂糖などを混ぜ込んでいるようだ。
 この深くて広い風味とうまみはクセになる。個人的にはオーソドックスなタバスコよりも好きだ。さすがに辛いので、よほど好きな人でないと付き合いきれないと思うが、好きな人にはオススメできる味だ。


10/23(金)

 昨日の続き.詩集を読んでいるのかと勘違いしそうになった小説本の話.
 この本の天・地・小口にはすべて『XX文庫』というスタンプが押され,己の所属を主張している.この「XX文庫」のXXには都営地下鉄駅の名前が入る.この駅は乗客から寄付してもらった本を貸し出しているのだ.
 話はここから.実はこの本に手紙が挟まっていた.そこそこ有名な女性アナウンサーに宛てられたもので,そのアナウンサーが担当しているラジオ番組に対する感想と,この本を読んでくださいという内容だった.きっと番組宛に送られてきたリスナーからのファンレター&プレゼントだったのだろう.その手紙が抜き忘れられたまま都営地下鉄駅に寄付され,運悪く(?)誰かに借りられてしまうと,アナウンサーの名前およびリスナーの名前と内容が自動的に読まれてしまうわけだ.
 もちろんプレゼントされた本を全部保管しておく必要も義務もない.捨てるのも寄付するのも燃やすのも食べるのも自由だ.しかし,ただのファンレターとはいえ,差出人の名前が明記された個人宛の手紙を挟んだまま寄付してしまったというのは,ただの不注意だとしても結構酷い話だ.
 たとえ本を開きもせずに処理した――つまりは手紙に気が付いていなかったのだとしても話は変わらない.ヘタをすると,駅で偶然本を借りた人に「ああ,このアナウンサーはファンの好意を露骨に無視しちゃう人なんだな」と思われてしまいかねないわけなので,十分に注意して取り扱う必要があるはずだ.今回はその注意を怠ってしまったわけである.やはりそれはマズいだろう.
 もちろん,アナウンサー本人に渡らないまま都営地下鉄の駅までたどり着いてしまったという可能性もあるが,それだとしたらもっと酷い話である.
 送った本人がこのことを知ったら,たぶん泣く(これは大げさ).

 テキストボックスに文を入力したり,WebページのURLを入力することで大阪弁や名古屋弁に変換してくれるページはいくつか知っていたが,直接の指定で変換してくれるページがあったので,リンクを張ってみた.それはここ.かなり違和感がある(^^;).


10/22(木)

 熊本県菊池市で「路上噛み付き事件」があったそうで.なんでも市議会議員が農協職員の右手親指に噛み付いて出血騒動になったとか.
 噛み付きは「何でもあり」と称しているバーリトゥードやアルティメットで禁止,プロレスですらも5秒間までしかできない(^^;)という危険な攻撃だ.もちろん,そんな競技でも禁止されるような危険な攻撃方法だからこそ,路上においてはたいへん有効な攻撃となるのであり,その意味で市議の戦術選択は非常に正しかったわけである.さすがは聡明なる市議会議員だ.瞬時の判断に誤りはない.

 同じく井坂十蔵,もとい市議の話(ネタの古さがオヤジ入っている).
 東京都八王子市の佐野美和市議会議員(元ミス日本&元オールナイターズ)による99年版カレンダー(水着写真入り)が制作中止になったそうで.本人曰く,「予想以上に大きな反響があって,このままでは議員の本分を逸脱しかねない」のだそうで.
 議会の仕事をこなしたうえで,人気取りやアピールに努めるのも議員の本分だと思う.そしてアピールするからには反響が多い方が良いに決まっている(ここまではただの一般論).本人がそういったことをふまえ,(水着の写真がどんな反響を呼ぶかといった)効果を予測したうえで,すすんでそういうカレンダーを作ろうとしていたというわけではなかったのだろうか.残念ながら上の発言にはそれが感じられない.ただの考え無しなのか,何かの圧力があったのか,真相は藪の中だが,おそらくは両方だろう.

 大阪府知事が出演した番組を議員が批判したことに対し,知事が「お笑い番組への差別発言だ」と怒ったというニュースもある.
 いつも紙を読み上げているだけの人が,ここだけは無しで喋ったということなので,芸人としてのプライドを見せたといったところだろう.さすがである.知事にしておくにはもったいない.これから知事の率直な意見を聞きたいときには,芸人のプライドに絡めて質問すれば良いのかもしれない.「知事,府の出費は上方芸人の東京流出のごとく歯止めがきかなくなっておりますが,いかがお考えでしょうか」とか.

 そうそう,昨日の分で中谷彰宏のことを書いたら,知人が一冊貸してくれた.ありがたいことである.
 小説の本ということで,実際に読んでみても一応は小説らしいという気がしたのだが,なぜか詩集を読んでいる気になってしまった.なぜだろう.


10/21(水)

 昨日は更新をしばらくスローダウンすると書いておきながら,今日になってでっかい更新をしてしまうヤツ(^^;).

 今週の週刊朝日「没後360年 殉教の地「原城」から発掘 十字架の主は天草四郎だった!?」という記事のリードに(十字架が発見されたのは)「奇しくも天草四郎の没後360年だった」という文を見つけた.
 何が「奇しくも」=『偶然にも/奇怪にも』なのだろうか? 確かに数学的にはキリの良い数字だと思うのだが,天草四郎とどう関係するのだろうか? 360という数字に何かカバラ的な意味でもあるのだろうか? 天草四郎がオカルトに凝っていて360という数字を偏愛していたのだろうか? それとも天草四郎は360年後に復活するとノストラダムスが予言していたのだろうか?
 とまぁ,必要以上の揚げ足取りは止めよう(^^;).
 しかし,二つの数字の差をとった一の桁がたまたま0だったというだけで「奇しくも」は無いだろう.この方法では何が何年に見つかろうとも1/10の確率でこのような結果になってしまう.この例のように歴史上の人物である場合,誕生年・没年・功績を成した年など,いくらでも年号は挙げられるから,必ずどれかはぴったり0になりそうだ.
 そのようなわけで,数字をちょっと操作した結果,それも意味があるとは思えない根拠で「奇しくも」と書くのはやりすぎだ.せめてとはレベル的に同じということでよほど関係のある数字の時にだけ使って欲しいものだ.
 だいたい,数字をいじって偶然ピッタリになったというだけで「奇しくも」とか言って驚いていたのでは忙しくて仕方がない.奇しくも同じような数字の操作を行って騒いでいる人のページがあるので紹介しておく.それはここ.どうやらかなり有名なページらしい.心して読みましょう.
 といわけで,今回の意味合いにおいては週刊朝日とこのページとはレベル的に同じだということで.

 数日前のことである.お出かけついでに回転寿司で昼食.カウンターに座って目の前を見ると,生牡蠣が乗った軍艦を発見した.初めて見た寿司だったが,貝類はどれも大好きなので,他の数倍の値段が付いてはいたものの,取って食してみた.
 レモンを搾って醤油をつけて…結構良い.
 で,ちんたらと三十分ほどかけて食事を済ませ,出ようかと思ったところ,目の前を生牡蠣の軍艦が二皿並んで通過した.そういえば,ずっと見ていたが生牡蠣はその二皿が延々と回っていた….入ったときには三皿並んで回っていて,それを一つ取ったから….
 結局,変わり物であるうえに見た目はエグく,値段も飛び抜けて高いため,私の後には誰も取っていなかったのだ.たった三皿だけ握られて回っていたとは考えにくいから,最初はもっと多かったのだろう.で,かなりゆっくりとしたペースでしか減らないとなると,それが三皿までになるには,結構な時間が必要になる….すると私が食したヤツは,いったい何時から回り続けていたのだろうか….
 ちなみにその日は,夏が戻ってきたかと思うほど暑く,湿度も高かった….
 そう考えた時,急に涼しくなったのは言うまでもない.

 まだまだ続く.
 「ダカーポ」の「現代カリスマ事典」という記事の中で,中谷彰宏が「"早筆"のカリスマ」として紹介されていた.何でも月に6〜7冊のペースで本を出しているとのこと.また,この10年間で約270冊出したのだそうだ.
 かなりショックを受けた.なぜかといって,毎日のごとく本屋へ行き,実用書/ビジネス書の棚も見ているのだが,そんなにたくさん本を出しているはずなのに,中谷彰宏の本を見たことがあまりないからだ(^^;).見てはいるのかもしれないが,全く記憶に残っていない(^^;).
 また,本人の言として「ベストセラーランキングの40位までに僕の本は常に最低10冊は入っていますね」と紹介されているのだが,ベストセラーリストで見た記憶があまりない(^^;).きっと新聞やWebに発表されるのはせいぜい20位くらいまでなので,その後はほぼ独占状態なのだろう.
 そしてこれだけ本を出しているのだから読者は多いはずなのに,知り合いに中谷彰宏のファンがいない,そればかりか世間話をしていても中谷彰宏の話題が出たことは一度もない(^^;).
 というわけで,そんなに凄い人がいたとは今日まで知らなかった.私は甘ちゃんの世間知らず野郎だったのだ!
 ところで,同じ記事の中で「経営のカリスマ」としてあの船井幸雄が紹介されているのだが,中谷彰宏は船井幸雄が選ばれたのと同じ基準で選ばれているのだろうか?
 あ,この記事のカリスマって,ひょっとして一般に使われている「非凡な統率力をもつ人」という意味じゃなくて,元々の「予言をしちゃうような超能力」のほうの意味なのね.


10/20(火)

 あーっはっは。週一すらも無理とは! ネタはたくさんあるのだが、なかなか難しい今日この頃。しばらくはこのペースが続きそう(^^;;;;


10/11(日)

 表ページにもう一本連載を考えているため、この一週間はその準備のために本を読んでいた。で、今日はその文章を用意するつもりだったのだが、外出する用事が出来たため、最後まで本を読めなかった(^^; 文章を書く以前の下準備すらも出来なかったわけなので、自分として最低の結果になってしまったと言えよう。
 結構根性入れて更新をしてきたのだが、ここに来て止まってしまった。腰を据えてあたることにしよう。


10/5(月)

 今日も表ページを更新した。目玉連載ともいえるソ連東欧・少年少女空想科学小説 記録の掲載開始である。以前担当していた筆者の都合により今回から交代することになった。同氏はSFマガジン8月号「特集・ロシアSFの現在」に「戦後のロシア・ソヴィエトSF翻訳事情」を執筆したことからもわかるように、このジャンルにおける資料通なので、今後もご期待いただきたい。


10/4(日)

 表ページを更新した。そこに書いたように今日は「ダーシェンカ展」を観るために有楽町まで行ったのだが、奥さんを伴っていたため、その下の階でやっていた「ウォレス&グルミット」のグッズ販売場や、その他にはHMV、洋服店など、目的外の場所にいた時間のほうが長くなってしまった。結局、今日は「ダーシェンカ」のカード類、「ウォレス&グルミット」のカード類およびビデオ、冬物皮コートなど、散財の日になった。その後、ガード下の居酒屋で乾杯。まぁ、これはこれで良い。

 「マサチューセッツ工科大学」(新潮文庫)を読む。興味深く、かつ面白い本だ。エンジニアリングに興味のある人にはお勧めできる。ただ、訳語の使い方が気になって仕方のない本であったというのも付け加えておく。たとえば代表的なところでは、スケデュール、ラヴォアジェ、スクェア、テューリング、イクゥイナクス、メディア・ラブ…といった感じだ。
 どうもスペルを独自のルールでカタカナ表記に置き換える方式のようだ。何だか不思議な気がしてしまう。
 主義を貫くことは重要だが、辞書や教科書で見慣れた表記でもないし、一般に使われている表記でもないというのは問題だ。一般向けの本なので、すくなくとも辞書が引いた時に読者が困らなくてもいいような書き方にしてほしいと思うのだが…。


10/3(土)

 せんねん灸は一時的な効果こそ絶大だが、水脹れができてしまうため、同じ場所に続けて出来ない、貼り薬や塗り薬がしばらく使えないという欠点がある。症状が酷いため、せんねん灸の鬼となって悪いところ全部に灸をすえたら、首・肩・背中の大部分が水脹れになってしまい、非常に痒いうえ、それ以上は何もできない状態になってしまった。あーあ。


10/2(金)

 表ページに掲示板とアクティブチャンネルを追加した。
 SF系のページに掲示板は多のだが、中にはこれくらい専門色の強い掲示板があっても良いだろう。フリーの掲示板ソフトを使ったお手軽なものだが、このソフトの採用数は多いようだし特に問題は起きないだろう。
 アクティブチャンネルはIE4のユーザーしか使えないので、いささかナニな技術ではあるが、使えるものは使ってしまおうという軽い気持ちでやってみた。実際、自分で使っていて便利だと思っているし。
 ここをクリックすると掲示板に行くことができる。また、ここをクリックするとダイヤログが表示されるので「はい」を選択するとアクティブチャンネルの購読ができる。
 これで今回の改装計画は、ほぼ半分が終わったことになる。週末には連載ページの(工事中)を何とかしよう。

 この一週間、異様なまでに肩や首が凝っている。かなりダルい。マッサージ機や湿布薬、せんねん灸の鬼と化している今日このごろ。


10/1(木)

 昨日の話の続き.奥さんに聞いた話だが,NHKのニュースでアナウンサーが「バールのようなもの」を「金・銀・パール・プレゼント」と言う時の「パール」のアクセントで読んでいたそうだ.たぶんアナウンサーが「バール」とは何かを知らなかったのだと思うが,今では一般的とは言い難くなったモノをたとえに出して使い続けているのは問題だと思う.ちなみにパールのプレゼントなら喜ばれそうだが,「金・銀・バール・プレゼント」だったら面白いけど嫌われそうだ.

 チャペックの「ダーシェンカ」(新潮文庫)を購入.
 自分でアップロードしておいてこういうのもナニだが,「ロシア・東欧SF関連ニュース」に掲載したニュースで初めて知った.
 犬は大好きだしチャペックも好きな作家だが,値段に躊躇して買わずにいたらチャペックの出版ラッシュが来てしまい,小遣いをヤリクリしながら他の本を揃えているうちに文庫になってしまった.ひょっとすると,これってラッキーなのかもしれない.
 本書もそうなのだが,「園芸家12ヵ月」など,チャペックのエッセイは非常に出来が良い.優秀な人は何をやっても出来がよいということで.それにしても,本書に掲載されているダーシェンカの写真は,見ていてのたうちまわってしまうほどの出来だ.
 昔,「イヌ」という名前の犬を飼っていた.子犬の時には面白がって「ネコ」と呼んでいたのだが,格好がつかないので「イヌ」に変えた(これでも十分ふざけているが).実際には他の名前が付いていたのだが,私は「イヌ」としか呼ばなかったし,そう呼んだら反応していたから,自分のことを「イヌ」だと認識していたのだろう.おっと,名前の話がしたかったのではなかった.
 犬は飼い主に似るという.奥さんによると,「イヌ」は顔つき,表情,目つき,しぐさ,性格が私とそっくりだったという(これはこれで恐ろしい話かもしれない).本書に掲載されている写真を見るかぎり,ダーシェンカも目から鼻にかけての雰囲気が何となくチャペックに似ているような気もする.根拠は何も無いが,信じても良いという気になる説だ.
 ところで,もっと怖い説として,夫婦は似るという話もある.何でも私と奥さんの顔が似ているのだそうで,これまでに何人もの人から指摘されているし,姉弟だと思われたことすらある.だが,この説を採用すると,かなり嫌がられそうなので,先の話と矛盾するようだが,こちらは否定しておく.

 DS9のDax役が変わるという話はWebのニュースで読んで知っていたが,今日初めて写真を見た.今度のEzri Daxことニコル・デボアはショートカット(またこれか!)の可愛いお姉さんで,非常に好みのタイプである(^^).非公式のファンサイトがあるので,興味のある人はご覧あれ.
 このお姉さんがキラ大佐(第七シーズンで昇進するらしい)と並ぶかと思うと,今から非常に楽しみである.しかし,実際に観られるようになるのは,いったい何時のことになるのだろうか.

 まさかねぇ.映画のリメイクは流行っているけど「日本沈没」とは.意外や意外.確かに小学生の時,劇場まで観に行ってその晩は怖くて眠れなかったとか,TV版も観ていた記憶はあるけれど….ビデオで観ようという気にはならなかったし,TV放送や,TV版の再放送も観る気にはならなかった.
 しかもタイトルが「日本沈没−1999」とは.1999という部分がノストラダムスを思い出させて何だか嫌な気分になってしまうのだが,これは私だけの現象だろうか?


9/30(水)

 表にある「トロイカの会」のリニューアルがやっとできた.各ページもまだまだスカスカだし,計画はあるものの目次には載せられないものが多いという状態だが,長期計画で充実させるということで.

 「バールのようなもの」(文春文庫)を読む.確かにこれは私にとっても謎だったことだ.すでにニュースにおける慣用句と化しているが,正体がつかめないこと甚だしい.実際,ニュースで耳にすると,いささか寒い.
 ところで,個人的に「バールのようなもの」と同じくらい気になる表現として「しかるべき処置」というのがある.以前住んでいたアパートには,かつて何かと問題のある人が住んでいたらしく,いろんな警告文の投げ込みや警告の手紙が舞い込んできた.主に金品の取り立てや責任追及の内容だったが,文書を投げ込まれても困るし,葉書や封書などは大家ですら転居先を知らない以上,どうしようもない.
 投げ込まれてしまった文書は嫌でも目に付くため,あまり趣味の良いことではないが,玄関にある程度の量,溜めておいたことがある.
 面白いのは,こういう文書では決まって,

「このまま****をしただけませんと,当方としても不本意ではありますが,しかるべき処置をとらせていただきます」
という表現が使われている点である.「しかるべき」とは書いてあるのだが,具体的にどういう処置をとるのか,皆目見当がつかないものが多かったのだ.
 借金の場合,怖い会社に債権を売るとか,法に訴えるとか,いろいろとあるのだろうが,それが本当に「しかるべき」なのかどうか全くわからない.たとえば怖い会社に再建を売ったとしても,貸した方は決して得するわけでもないし,弁護士に相談しようにも本人を追跡できていないわけなので,その先の処理をどうするのか,まったく想像がつからない.そもそも自己破産されたらどうするのだろうか? これらはとても「しかるべき」というレベルのものではなく,「止むに止まれぬ非常措置」としか思えない.
 また,責任追及の場合でも,法的に責任を問える問題なのであれば警察に被害届を出すこともでるだろうが,逃げてしまう人相手に訴え出だとしても,最終的に訴え出た側が得をするとは思えない.こちらも本当に「しかるべき処置」なのだとは思えない.
 たぶん書いている本人も何が「しかるべき」なのかわかっていないのだろう。行為を具体的に書くと脅迫めいたこと(またはそのもの)になるし,「非常措置」とも書けないので,暗に脅かそうとしているだけなのだが,文面として見ると「バールのようなもの」と同じく実体が薄すぎて寒い表現であると言わざるを得ない.


9/27(日)

 すでに週一更新と化しているが、決してサボっているわけではなく、ここのところなぜか気ぜわしく、まともにメールを読むことすら出来ていないような状況に陥っているからである。実際、メールの返事も遅れまくり、受信すらしていない(^^;。また、ホームページや会議室の巡回も溜まりがちになっている。
 特にネタが無いわけでもないし、リニューアルで追いまくられているというわけでもないため、毎日の更新もやってやれないことはないのだが、今の状態ではかなりキツいと言わざるを得ない。もうしばらくしたら元のペースに戻せると思う。

 昔は童顔だとか、年相応には見えない、情けない顔と言われていたのだが、今ではすっかりオッサンにしか見えなくなった。態度がデカくなっているせいかもしれないが、年よりも上に見られることも多くなった。前の状況から比べれば、これはこれで良い事だろう。突然なぜこんなことを書いたかというと、SFMの今月号に載った写真を見て奥さんがシミジミと「おっさんだねぇ」とつぶやいていたからである。私は特にそれを悪いこととは思っていないので、あしからず。


9/20(日)

 久しぶりに麻雀を打つ。不注意で親満に振り込んでしまい、最後まで挽回できず。そこそこの引きと上がりはあったので、非常に無念。この次こそは!と思う心がハマり状態へと導く。しかし、手積みは十数年ぶり、牌を使うのも数年ぶりとあって手つきが怪しくなっていた。雀牌を買って練習だぁぁぁぁ!

 関連して、秋の予算について家庭内折衝をする。大きなものではVisual StudioやDreamcast、小さいものでは麻雀牌まで、いろいろと申告したがほぼ全滅(;_;)。


9/19(土)

 「サクラ大戦」を延々とやっていたから更新しなかったというわけではない。それは誤解というものである(聞かれてもいないのに自分から喋りはじめて墓穴を掘るヤツ)。

 現在、Visual Studio6を買ってしまおうかどうか悩んでいる。ツールとして見た場合、機能の割には高いものではなく、書籍・資料・身近にいるユーザーが多いのでパニクった時でも大丈夫だという強みはある。現在使っているJBuilderが悪いツールだとは思わないが、なにぶんそれらのものが少ないという点で不便なのだ。
 これから家庭内予算折衝に入るが、どうなるのかはお楽しみに。


9/14・15(月・火)

 運転免許の書き換えのため、警察まで行った。免許ができるまでの間、三十分ほど「講習」と称して安全運転に関するビデオを見せられることになるのだが、これがなかなか笑える出来だった。ハイドロプレーニングやスピン、衝突時の映像など、「こういうことをやってはいけない」と言いながら実演してみせるところとか、わざわざダミー人形を使って無残なシーンを見せ付けるところなど、教育的には非常に正しいやり方だとは思う。だが、子供がリアシートから飛び出してフロントガラスを突き破るなど、題材や状況が「人命にかかわる事故」なので、同時に映像が非常にB級映画的な仕上がりになってしまっているのだ。こういうビデオがシャレになっていては本来の目的が果たせないので困るのだが、そのシャレになっていないところが、またB級なのである。あのビデオ、「教育用」として外販してもらえないものだろうか。まとめて観てみたい。

 ところで、お役所で観られるビデオで、他に外販してほしいといえば、私はためらうことなく「悔恨の涙」と「惑星アトン」を挙げる。
 まず「悔恨の涙」は免停の講習(^^;)で見た映画である。よそ見運転で女子高生をはねてしまった主人公が、良心に苛まれ、被害者の家族に責められ、一家は崩壊し、交通刑務所に行くという内容である。交通違反者に脅かしをかけるのが目的なので、娯楽性も救いも無い(あったら逆効果である)。今まで観た映画のなかでも救いの無さではベストの部類に入る。俳優の迫真の演技が冴え渡る映画である。
 そして「惑星アトン」は某役所で観たビデオである。どこで観たかを明かすと「なんでお前がそんなところにいたんだ!」と余計な詮索を受けるので書かない。この作品はお役所が啓蒙目的で作った作品としては珍しく、アニメ作品である。主人公は小学生。同い年くらいの女の子に誘われ、UFOに乗って「惑星アトン」に行く(女の子が王女!)。その惑星にはZZZ(詮索対策のため伏せ字)の制度がなく、非常に問題のある状況なのだが、そこに小惑星衝突の危機が! ディープインパクトやアルマゲドンを先取り! 結局、力を合わせて大型光線兵器を作り、小惑星を爆破するのだが、やはりZZZは重要なんだ!という非常にわかりやすい(わかりやすすぎる)脚本である。なかなか作画に力が入っていなくて良い。
 以上、二本は個人的に「お役所映画二大作」と名づけている。

 今更ながら「サクラ大戦」を始める。発売当初にはかなり騒がれたし、CESA大賞も受賞、今年には2が出て関連商品も多い作品だということは知っていたのだが、どうしても「ギャル物」というイメージが強く、敬遠していたのだ。今回も信じられないような安い値段だったので買う気になった。
 早速プレイしてみたのだが…ごめんなさい、たいへん面白いゲームでした。アドベンチャーの部分がくどい、シミュレーションの難易度が低い・操作性が悪いなど、欠点は目立つが、面白いことにかわりはない。「影牢」ハマりからやっと抜け出したというのにこの有様…。


9/13(日)

 野尻抱介氏の掲示板冬樹蛉氏の日記で話題に(?)なっている「眼鏡っ子」について。
 自慢できるものはあまりないが、これには自信がある(^^;)。冬樹氏の日記で紹介されていた、眼鏡っ子の部屋にある「眼鏡っ子好き2度チェック」をやってみたら、「好き好き度=504」と出た。これがどういう数値かは、実際にやってみて判断されたい。
 以前にも書いたが、私はショートカットの子も大好きである。ちなみにこのページなどは欠かさず見ている。自分の嗜好を気にしたことはないが、少なくとも私にとって「眼鏡+ショートカット」という取り合わせは「猫にマタタビ」「オタクにレアモノ」の世界なのである。
 ここまで書いて止めるのもナニなので、さらに白状するが(暴走モード)、これに「年上」という要素が加われば、もう何も言うことはない。「猫にマタタビ」を越え、「オヤジにバイアグラ」の世界に達するであろう。この世の歓喜と快楽と至福と悦楽と愉悦をコンクリートミキサーにかけてぶちまけた(from BOTOMS)状態になると予想される。「愛国駅から幸福駅行き切符」や「ラブピース」、「ヒランヤ」、「タキオン腹巻き」、「インテリヤ風水」(なんだ?)など以上にありがたいと言えよう。
 で、何だったっけ?。
 ここまで書いた内容に関し、だからどうだと言われても非常に困る。これだけはっきりと書いてしまった以上、あとは私個人と、家庭内の問題ということで。

 今日は中野でお買い物。ガシャポンの「ゴジラ4」をまとめ買い。ゴダールの「アルファヴィル」のLDは、はっきりいって高かったが、好きな映画なので買ってしまう。こうしてハマってゆくのだ。
 白状すると、どうもこのところ新たな境地を開拓しつつあるようで、自己抑制の必要性を切に感じている。最近、「入り口」に来ているものの例を挙げてみると(恥ずかしいが)、「ガシャポンコレクター」、「声優萌え」、「ゲームキャラ萌え」などである。ハマれば楽しいことはわかっている。だが、いい加減にしないと、別の次元にブッ飛ぶこともわかっている。
 オタク項目を数えてみると、今なら満貫で済んでいるのだが、このまま進めば軽く倍満を超える。正念場である。以上、中毒患者の告白でした。


9/12(土)

 やっと表ページのリニューアルに取り掛かる。とはいっても、全面的に行うというわけではなく、まずは半年ばかり死んでいる「トロイカの会」のページから。
 今月中の公開を目標にしているのだが、目次のほとんどが「工事中」というのも変なので、ある程度の充実を図らなければならない。ホームページの命はコンテンツと更新!


9/11(金)

 水曜深夜(木曜早朝?)に放送された「スリープウォーカーズ」の録画を観た。
 ドラマの中で登場人物が寝入り際に読んでいた本の表紙にH.P.LOVECRAFT"The Lurker at the Threshold"と書いてあった。この作品の邦題は「暗黒の儀式」なのだが、手元の本を見ると、ラブクラフトとオーガスト・ダーレスの共作ということになっている。
 気になったので問題の個所をビデオでもう一度確認したが、やはりラブクラフトの名前しか書いてない。念のためにAmazon.comでこの本を検索したら、ダーレスとの共作だと出てきた。
 では、番組で出ていた本は一体何なのだろうか?ダーレスの名前を書かずに出版してしまった本があったということなのだろうか?謎だ。


9/7(月)

 9/5の「佇みおじさん」続報.
 本日,東京地方には雨が降っているため,さすがに消費者金融のティッシュ配りは行われていなかった.当然,佇みおじさんもいないだろうと思いきや…なんと,いたのである.
 普段とは少し離れた雨に濡れない場所に立ち,いつもと同じスーツ姿に大きな名札を付け,道行く人々に「ありがとうございます」とつぶやいていた.いったい何なのだろうか.
 これで消費者金融関係者では無いという可能性もでてきたのだが,普段の立ち位置を考えると,それは考えにくい.
 ちなみに,おじさんは所属を示す物を何一つ身につけていない.付けている大きな名札には名字が書いてあるだけで,会社名などは一切書かれていない.普段はティッシュ配りの横に立っているから何となくわかるのだが,今日のように一人で立っているだけでは何の意味もなさない.
 以上をまとめると,常識的には考えにくいが,ティッシュ配りのある無しにかかわらず,そこに立つのがおじさんにとっての業務だということになってしまう.時期が時期とはいえ,かなり異様な状況である.
 これは普段の観察からの推察にしかすぎないが,もしこの推察が間違っていたとしても,このおじさんが異常な状態に置かれ,堪え忍んでいることだけは確かである.


9/6(日)

 黒澤明監督か亡くなった。遺作となった「まあだだよ」は好きな作品だが、もう一本という気はしないでもない。
 6/21に「暴走機関車」のことを書いたが、この作品と「デルス・ウザーラ」が隠れた名作であるという意見に変わりはない。個人的なベストは「用心棒」だが、これは三船敏郎のキャラクターによるところが大きい。非常に(私の思う)ロシア文学的だった「白痴」とか、トラウマが残ったという意味で「天国と地獄」も捨て難い。
 実を言うと、評価の高い「七人の侍」や「生きる」などよりも、黒澤作品のなかではあまり評価されていない「生きものの記録」とか「どですかでん」、「夢」などが好きな天の邪鬼にとって、この話題は難しい。


9/5(土)

 このところ気になっている「佇みおじさん」について。
 近所で毎日、「最近切り込みの角度がより深くなったレオタードお姉さんの集団がダンスする」消費者金融がティッシュを配っている。貰ったことは一度もない(シャイなんです)が、CMで細川直美が着ていたのと同じ制服を着て、名前を連呼しながら配っているので間違いはない。で、そのお姉さんがティッシュを配っている道の端で、スーツを着込んだ五十くらいのおじさんが、ディッシュを受け取った人に対し、直立不動で「お願いします」とか「ありがとうございます」とか、つぶやいている。大きな名札をつけているし、いつもいるから関係者だろう。不思議なのは、そのおじさんが決してその作業に参加するわけでもなく、ただそこにいるだけだということだ。広報活動がきちんと行われているかどうか、監視しているのだろうか。
 何もせず、ただそこにいるだけ。しかも場所に似合わない格好で周囲から浮きまくる。要するにさらし者である。もし、そのおじさんが、仕事だと信念を持って自ら進んでやっているのであれば、個人的には救いようが無いとも思うが、それはそれでいい。しかしどう考えても、明らかにイジメ的な処遇としか言いようが無い。
 通りがかるたびに痛々しくて堪らない気持ちになる。


9/2(水)

 今日は、本欄の最も正しい使い方をして、終わりにしたいと思います。

更新情報 中国SF研究会の会報「科幻情報31号」表ページにて公開しました。

以上、業務連絡でした。


9/1(火)

 新聞の広告につられ、今日発売のFLASHを買った。広告曰く『米国博物館で公開された右半身「男」左半身「女」の裸体』。私と同じ世代なら、すぐに「アシュラ男爵だぁぁ!」と叫んで買いに行くことだろう。私がそうだったから、他の人もきっとそうだ(根拠の無い決め付け)。いささか東スポっぽいネタだが、題材が題材だけに放っておくこともできまい(オタクの宿命じゃのぉー)。
 で、その二ページのために250円で購入したのだが、これはショッキングだ。肉体改造した人間を写した本当の写真なのか、ただの偽造写真なのか、それはわからない。だが、たとえ偽造写真だったとしても、見てはいけないものを見ているような気にさせる。禁じられた知識を得てしまったようで、なにか落着かない。この感覚は罪悪感に近いかもしれないとも思う。
 これが上は女で下は男だったとしたらニューハーフ、逆だったらオナベとして、最近では珍しいものでもなくなっている。左右で切れているがゆえのショックというのは、想像もしなかったことだ。
 たしかに人魚も上下で切れているから美しくなるか面白くなるかで済んでいるのだが、それが左右だったら、エグくてまったく見ていられないだろう。何のこともない理屈だが、今日その例を見せ付けられるまでは、まったく考えもしなかった発想なので、ショックは大きい。
 というわけで、怖いもの見たさの気がある私としては、誰か左右ヴァージョンの人魚やケンタウルスのフィギュアを作ってくれないものだろうかと思っている。私は買う。ひょっとしたら、自分で作るしかないかもしれない(^^;;


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