12/18(金)
今日のような日は各新聞の社説がおもしろい.毎日新聞を除くメジャー紙の社説はWebで読むことができ,ありがたい限りだ.各新聞の社説ページは次のとおり(ただし,東京以外は日付が変わったら内容も変わってしまう).
朝日,日経,読売(社説は独立していない),産経,東京
最近,新聞がダメになったとか言われながらも,各新聞の主張は明確に分かれている.このくらい意見が分かれているうちは,まだ健全の部類に入ると思っていてもいいのだろう.
ちなみに今回の事件に関しては,私にとってこの文書が最もわかりやすかった.
12/17(木)
見境無くブッ放つことが許されているのは,天才バカボンのお巡りさんだけだ.それ以外のヤツが同じことをやると嫌われる.
12/15(火)
湯たんぽの続き.
おかげでなかなか快適な夜を過ごしている.一度お湯をわかすだけで一晩足りてしまうというランニングコストの安さは捨てがたい.ストーブなどで部屋全体を暖めることに比べたら確実に安い.計算したわけではないので確証は無いが,電気毛布などの電源を一晩入れっぱなしにしておくことと比べても十分安く済んでいるのではないだろうか.
しかし,やはり問題が出た.いちいちお湯を沸かす,お湯を入れ替えるといった保守作業が想像以上に面倒くさいのだ.石油ストーブを使っているのなら,暖房と同時にお湯を沸かしておくこともできるのだが,我が家には無い.
ここは一つ,電気湯沸かし器と組み合わせた「電気湯たんぽ」が欲しいところだ.「電気アンカ」とどう違うという話にもなってしまいそうだが,「電気湯たんぽ」なら,一度お湯を沸かしてしまえば電気を切ってしまえる.電気代がどうなるのかは計算してみないとわからないが,一晩中つけっぱなしということはしなくても済む.
ひょっとしたら,こんな商品はすでに存在するのではないかと全文サーチで探してみたが,残念なことになかった.誰か作ってくれないものだろうか.どう考えても全く売れない商品だが,私は買う.
こうなったら自分で作るしかないのだろうかとも思うが,AC100Vを水の近くで扱うという危険な代物を素人が作るのは怖い.たとえば,



自作の『電気湯たんぽ』で感電死
12月X日午後23時頃,東京都練馬区に住む大野典宏さん(34)が自室で倒れているのを妻のKさん(yy)が発見し,病院で手当を受けたが(X+1)日未明死亡した.
練馬警察署の調べによると,大野さんの死因は感電死.大野さんは,湯たんぽの中に電気湯沸かし器のヒーターを組み込んだ『電気湯たんぽ』を自作して使用していたが,誤って濡れた手で電気コードに触れてしまい,感電したものという.
なとど報道される事態にもなりかねない.これはかなり恥ずかしい.やはり危険だ.
ところで….
ニュースサイトを眺めていたら,武田久美子が匂い付きの写真集を出したというニュースが目に入った.よくよく読むと,本人が愛用している香水の匂いがついているということだったので安心した.
確信を持って記すが,ここで一瞬危険な想像をしたのは私だけではあるまい.
もし,写真集から体臭がしたら,それはそれで臨場感あふれるものになるような気もするが,しかし同時にかなり気持ち悪い代物にもなる.製本している現場には絶対に入りたくない.足フェチ写真集などで,このような本が出たら,かなり嫌な気分になることは間違いあるまい.
12/13(日)
最近、底冷えが酷く、起きる時にダルくてしかたがないため、布団用の暖房器具として湯たんぽを新規に購入した。
普通なら、ホットカーペットとか電気毛布を選ぶのだろうが、消費税別六百円という他と比べ物にならない安さは捨て難い。また、暖房器具としての第一線を退き、すべてを後進に譲って自己主張をしないという奥床しさも日本的で美しい。しかも全体から「おばあちゃんの知恵」的なありがたさすら感じる。そして湯たんぽ独特の形状は、観ているだけで暖かくなる何かを持っている。以上のような理由から、この湯たんぽは、単純に暖を得るだけではなく、他の暖房器具からでは得られない心理的効果ももたらしてくれるものと確信する。
湯たんぽに慣れたら、次はベンジンを使う白金懐炉、豆炭を使うアンカ、練炭火鉢の復活にとりかかることにしよう。
ただ、湯たんぽには、使うのがひたすら面倒くさいという、湯たんぽが使われなくなった最大の欠点が依然として残っている。問題は、いつまでこの面倒くささに付き合えるか、である。というわけで、別に懐古主義に陥っているわけでもないし、温故知新を推奨しているわけでもないので、誤解無きよう。
一つだけ確実に言えることは、これから眠りにつくとき、「♪君は憶えているかしら、あの白いユタンポ〜」と必ず口ずさむだろうということである。
12/9(水)
アンヌ隊員こと,ひし美ゆり子の裸見たさに「週刊現代」を購入(^^;).まさか自費で「週刊現代」を買うことがあろうなどとは思ってもいなかったが,この際しかたあるまい.何と言ってもあのアンヌ隊員なのである.
この際白状するが,私のショートカット好きは,アンヌ隊員(ロングのこともあったが,圧倒的にショートのほうが良かった)に始まり,山口百恵を経て,マチルダ中尉で固まったと言っても過言ではない.
このくらいアンヌ隊員は重要な存在なのだが,だからといって写真集までは買わない(値段が高くてねー).と,一応は宣言しておこう.
12/8(火)
以下の文章は個人的な言語感覚にのみ基づいた内容であり,数々の異論があるだろうことは承知している.
十二月八日は太平洋戦争が始まった日である.今日の日のことをどう称するのが適切なのか,それはわからないが,少なくとも今日付けの朝日新聞で使われていた「開戦記念日」という称し方には違和感を感じざるをえない.
確かに,どんな事項であろうとも忘れることなく記憶に留めておくことを「記念」と称するのであれば,この使い方も間違いではないかもしれない.とはいえ,奇しくも今日はジョン・レノンが暗殺された日でもあるのだが,今日のことを「ジョン・レノン暗殺記念日」と称したくはない.私の日常的な感覚で言わせてもらうなら,やはり「記念」とは良いことにのみ使いたい.たとえば誰かの死を記憶に留めておくこと,大きな事件や出来事を覚えておくことなどはたいへん重要なことだと思うのだが,それに対して「記念」という言葉を使う気はしない.
というわけで,戦争などというとんでもない異常事態に関係した日付を「記念日」と称することには強い抵抗がある.たとえば「原爆記念日」とか「硫黄島玉砕記念日」といった表現は受け入れがたい.「開戦記念日」という言い方は,これらと同じ不適切な表現にしか思えない.
同じ理由から,八月十五日を「終戦記念日」と称することにも違和感があるのだが,これは同時に平和な時代が始まった日でもあるので,まだ抵抗は少ない.
だが,個人的には単に「開戦の日」「終戦(敗戦)の日」と称したいと思っている.
ウルトラセブンは最も好きなシリーズだが,不思議とウルトラ警備隊のメンバーに関しては印象が薄い.ウルトラマンの科学特捜隊のメンバーのほうがよく覚えている.せいぜいダン,アンヌ,フルハシ隊員くらいだ.多岐川裕美がソガ隊員と結婚したとき,正直言って顔が思い出せなかった.これはキリヤマ隊長についても同じで,ムラマツ隊長と比べ,どうしても印象が薄い.
ウルトラ警備隊とかキリヤマ隊長というと,宇宙人または人間以外の知的生命と見れば見境無く攻撃して全滅させてしまう集団または隊長という印象が強い.科学特捜隊にはこぢんまりとした雰囲気しか感じられなかったのだが,ウルトラ警備隊はよりスケールアップした描かれ方がされていたため,実質的には同じことをやっていながらも,巻き起こしている事態が大きく見えてしまっていたのだろう.そういう意味では,ウルトラ警備隊が「非情の集団」に見えてしまったのは,制作者側の演出意図が見事に伝わっていたからだとも言える.
何はともあれ,中山昭二氏に合掌.
12/7(月)
風邪をひいてしまった。薬を飲んだら効きすぎてしまったようで、頭はフラフラ、足元がおぼつかない。いつも半覚醒状態なので危険な事このうえない。
昔から薬が効きすぎてしまう傾向がある。「大人X錠」と書いてあるところ、半分の量を飲んでも十分すぎるほど効いてしまうのだ。風邪薬を飲めばすぐに眠たくなり、精神安定剤を飲めば途端に何事にも動じなくなってしまう(そればかりかすぐに寝る)。体重が子供並みしかないというわけでもないので、極標準的な量が適量のはずなのだが、それでは多すぎるらしい。
何度か書いているが、私は催眠術にかかりやすい性格なので、ひょっとしたらプラシーボ効果による影響が人よりも大きいのかもしれない。今度から奥さんに頼んで薬の中身をわからないうちにすり替えておいてもらおうか。それでも十分に症状が治まりそうな気もしてきた。
たとえば、ただの重曹を飲ませて毒だと言い張れば死んでしまう可能性は高いし、女性ホルモンだと称して私に与え続けたら胸が出て声が高くなるかもしれない。そこまで効いてしまう可能性は十分にある(大マジ)。
12/6(日)
この二日間,温泉に行ってきた.一時間半で着く沿線の終点,片道千円もかっていないというお気楽なものなので,旅行の範疇には入らない.単に退屈するためだけに行ったと言ってもいいだろう.
で,話はここから.温泉に張り出されていた注意書きの中に,
という項目があった.温泉の効能で下痢になるのかとも思えてしまうが,これは入浴で暖まってお腹が緩くなってしまう人がいるためのものなのだろう.
気持ち良く温泉につかっていたら突然異臭とともに茶色いものが浮かんでくる……となると,これは尋常な話ではないし,その場に居合わせたくもない.したがって入浴お断りと書きたくなる気持ちもわかる.しかし,これってどの温泉にも書いてあることなのだろうか? もし,ここだけにわざわざ書いてあるのだとすると,過去にそういうことが起こったということなのだろうか? すると,この湯船ではかつて……などと考えてしまった.
筒井康隆の短編に,ファッションモデルを撮影していたところ,ライトの熱によってお尻からサナダ虫が出てきてしまったという話があった.もし温泉でサナダ虫とか回虫を出してしまうような人が出た場合,上記の注意書きに,
と書かれることになるのだろうか?
ところで,これまで何度か書いてきていたが,私は上記の項目に該当しかねない体調なのである.とはいえ,せっかく来たというのに入らない手はないため,無視して入ってしまった.私は悪いヤツです.ごめんなさい.
しかし,これだけは誓う.「万が一」の事態は起こらなかったし,お湯を極度に汚染するようなマネはしていない!お願いだ,信じてくれ!
12/1(火)
「現代用語の基礎知識」を眺めていたら,「政界三大マキコ」なる言葉を見つけた.田中真紀子,末広真樹子,浜田麻記子をまとめて称するようだ.このネーミングはうまい.
ところで,二番目に出ている末広真樹子だが,今週の「サンデー毎日」で再びいちびられている.しかし,これだけウソや約束破りを突っつかれてもまったく動じないということは,もともとこんな状況には慣れている人だったということなのだろう.楽しい.
まだ一月残っているが,年末ジャンボも発売され,流行語大賞も決まったっちゅーので(これって恥ずかしい…),もうすでに年が暮れた気分になってしまった.今年を思い返してみると,非常に楽しい結果となった参院選とか,「変人・凡人・軍人」,「冷めたピザ」など,いろいろあった.
その中で,私にとって今年最も強烈な印象に残ったのは,何と言っても畑恵と船田元だ.私は別に不倫がどうこうなどと思ってもいないし,誰が何をしようとも知ったことではない.問題は,不倫報道の際にTVで数秒間放送された,船田元のサックスと畑恵の歌による「G線上のアリア」のビデオだ.この破壊力は凄かった.両者とも着飾り,お世辞にも上手いとは言えないサックスと歌――まさに悪夢のような風景だったと言えよう.数秒間の映像で私は壊された…….映像の力は絶大である.
ちなみに,船田元自身のホームページで,本人がその時の模様を書き残している.興味のある人はどうぞ.私は笑った.
というわけで,マイベストショッキング映像1998は,mikihouseのTシャツとか,青ざめて泣きそうな橋本龍太郎,ましてや長州力の引退でも,せがた三四郎の死でもなく,「G線上のアリア」だと思っている.
11/30(月)
週一回の更新と化しているが,ここのところ気ぜわしくていけない.と思ったらもう十二月だ.普段はガラガラなスケジュールに項目が入ってしまうと,それだけで暇なはずの時間ですら気ぜわしくなってしまう.これではね.Dreamcastも買えなかったしぃ(直接の関係はない).
そういえば先週のFRIDAY,驚いたのなんの.
新聞の広告に「両性具有写真」と書かれていたので買ってみた.以前,別の写真週刊誌に掲載された「左が男で右が女というアシュラ男爵写真」に強いショックを受けたということもあり,今回も興味がわいたのだ.
でも,これ,衝撃が大きすぎる.見てはいけないものを見てしまったのではないかと本気で思った.「ビーナスの誕生」の構図で全裸の人物が立っているのだが,上半身が女で下半身が男であることを証明する証拠がはっきりと写っているのだ.
確かに,考えてみれば,胸にシリコンを入れたりホルモンを打っているニューハーフは,みんなこういう体なのだろうとは想像がつく.だが,それを写真として明白に見せつけられると何も言えなくなってしまう.
これは廉価中古ビデオ屋だと思って入ってみたら,大量のアダルトソフトを扱ったブルセラショップだとわかった時以上の驚きかもしれない.
いやいや,これはそんな意外性だけのショックではなく,もっと根元的なものだ.
たとえば初めて女性器を見たときの衝撃は,人生観の一部を変えてしまうほど大なものだった.それは自分が男として正常に機能している以上,自分の本能に従う場合,ここが最終目的点となるということを自覚させられたがゆえの衝撃であった(まぁ,もっとぶっちゃけて男が最も興味を持つ場所をついに見ることができたという喜びと,人間の生物としての一面を目の当たりにしたというある種の感動があったのも否定しない).
今回の写真から受けた衝撃も,それに匹敵する.性衝動から,または性別を間違って生まれてきてしまったがために,それを正常化させるべく肉体を改造するという,そのエネルギーとパワーの大きさに圧倒された.人として生きている以上,性衝動からは逃れられないのだが,この写真は,そういったエネルギーが想像以上に大きなものであるという事実を具体的な形で示してくれているような気がする.
冗談ではなく,なんだか人生観の一部が変わったような気がしている.
11/23(月)
今月の「Software Design」誌に付録で付いている「Plamo Linux」は結構良い。
インストーラやアプリケーションが全部日本語化された商用Linuxディストリビューションも存在するが、インストールや設定の簡便さでは決して引けを取らないだろう(もっとも市販のものはそれなりの特典も多いようだが)。これで雑誌代だけとは安い。
これまで使っていたLinux環境ではロシア語入出力環境を整え、十分に使えていたのだが、いささかカーネルやアプリケーションのバージョンが古くなっていたため、思い切って切り替えてしまった。ゴテゴテと手を加えていたアプリケーションも全部バックアップして書き戻したから、あっと言う間に元に戻った(こういう事を書いてはいるが、私は決してUNIXのロシア語環境を推奨しない)。そしてUNIXは、いじくり回すことが楽しいので、さらにあれもこれもと手を入れまくる日々を送っていた。異論は承知のうえで書くが、UNIXは趣味のプログラムや玩具としていじくり倒すような用途にも非常に適したOSだ。
とは言うものの、普段の使い方では文章書きやネットワークが主なので、そういった用途に優れたアプリケーションが多いWindows環境を捨てる気はない。
というわけで、私のことは「OSコウモリ野郎」と呼んでね(はあと)。
11/17(火)
人間はトイレにいる時がいちばん真剣に集中して物を考えるからだ.
――ジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」
せっかちなので排泄行為は短めに済ませて出て来るというパターンだったのだが,最近はある事情により,長い時間をそこで過ごすことになっている.
そのような事情もあり,公の場所で用を足すとき,周りの音がよく聞こえるようになった.そこで気が付いたのが,個室からの物音にはいくつかのパターンがあり,誤差はあれども以下のどれかに分類されるということだ.
- 通常型
普通に音が聞こえ,普通に出てくる.
- 豪快さん型
凄い音を立てて扉を閉めたかと思うと,しばらくしてドボドボドボという音が聞こえる.ガラガラガランッとペーパーホルダの音がし,そのすぐ後に出てくる.
- 気合いだぁ型
時々,「ウーンッ」とか息をためる音が聞こえ,すぐ後にポチャンと聞こえる.
- リズミカル型
上と近いが,「ンッ,ンッ,ンッ,ンッ」と一定のリズムで声が聞こえる.
- シンガー型
- ゴニョゴニョ型
これら二つは似ている.鼻歌を歌っているか何かつぶやいているかだけの違いである.
- 沈黙型
入っているはずなのに何も音がしない.そのうちに水を流す音が聞こえ,出て行く.
- 忍者型
普通型が沈黙型に近いのだが,不思議なのは水の流れる音がして,ベルトをしめる音が聞こえた後でも扉が開かない.
- 月光仮面型
文字どおり疾風のように現われて疾風のように去ってゆく.入ったかと思ったら流す音がして出てゆく.本当にしているのだろうか?
ちなみに私は自分で言うのもナニだが沈黙型である.
このように一人一人に独特の「スタイル」を持ち,それを各人が毎日数回ずつ繰り返しているわけである.
ところで,何をするにつれ,スタイルが違えば経過が違うのは当然だし,経過が違えば結果も違う.先に引用したように,もし排泄行為が最も真剣な思考の場であるのだとすれば,各個人が独自のテーマで,これだけ多種多様なスタイルによって,しかも最高に集中した状態で思考し,日々生み出し続けている結果は,おのずと多様かつ莫大,そして最良のものであるはずだ.
今まで気が付かなかったし,考えたこともなかったのだが,これはかなり凄いことである.気が付いてしまった以上,無視して通ることはできない資産だ.早いうちに「世界排泄思考大全」として集成されることを望む.
日本の製紙技術がまだ不完全だということを実感できる症状は未だに続いている.これはかなりこたえる.座るも苦痛,歩くも苦痛,しかも症状が進んで寝ころんでいても苦痛を感じるようになってしまった.どれくらいキツイかというと,破邪顕正極意桜花爛漫,外道照身霊波光線,流派東方不敗が最終奥義石破天驚拳,南斗水鳥拳奥義飛翔白麗,盆と正月がいっしょに来た仮面明けましておめでとう!と,ここまで一気にタイプしてしまうくらいだと称れば,わかりやすいだろうか(わかんねーよ).
11/16(月)
なぜかは知らないが、今日も再びエレベータに置いてゆかれることとなった。
棟に入ったところでエレベータの扉を見たら、閉まり始めたばかりだったので走った。扉が半分くらい閉まったところで中にいた女性(推定三十代前半)と目が合ったので、きっと「開」ボタンを押してくれるだろうと期待した。しかし、扉の前まで着いた時には、すでに二十センチ程度しか隙間が無く、無情にもエレベータは昇っていった…。
ちなみに、その女性はボタンのすぐ前に立っていたので、ボタンを押すのが間に合わなかったということは無いだろう。また、時刻は常識的な生活時間帯で、エレベータホールでは近所の主婦(推定四十代半ば)二人が家庭の愚痴をぶちまけあっているような状態だった。
そして置いてゆかれた私は、愚痴合戦を聞きながらエレベータが降りてくるのを待つしかなかったのであった。
ちなみに、日本刀を腰から下げていたとか、服に大量の血がついていた、白装束で頭に蝋燭をかざしていた、マタンゴに変身していたなどという事実はなく、ごく普通の格好をしていた。
私の何がいけないのだろうか…。真剣に悩むところである。早期の解決が望まれる。
11/15(日)
調子が未だに回復しないため、いつも体がだるく、眠たくて仕方が無い。今まで正露丸は万能だと信じていたが、今回だけは手におえないらしい。
テレビでニュースを観ていたら、宮沢大蔵大臣の「(商品券の経済効果と意味を聞かれて)それはこれから考える。世の中そんなもんだ」という要旨の発言が流されていた。要するに、「特定集団への配慮という以外、理由も根拠も無い」ということを、言外にではあるが公の場で白状してしまったのだと私は解釈する。素晴らしい。さすがは現代日本に生存するヨーダ師だ。もし、そうでなければただの考え無しの発言以外のなにものでもないが、実際のところはわからない。
金を出して票を買ったら違反になるのだが、税金から数千億円出して議席を買うという行為が正当化されてしまうというのも変な話だ。議席を買われる側にとってすれば、方針や信念すらも金で買いたたけるものだと思われているわけなので,明らかに舐められた話であり、非常に不名誉な事なのではないかと思う。しかも、上のような冗談としか思えない言い方がされるような事項だと買う側に思われているのだから、なおさらである。しかし、今回の場合、買われる側は、身売りしてでも公約を果たすことのほうが重要だと考えているらしいので、これ以上いじっても楽しい話題にはなりそうもない。
件の発言をした人を平成の高橋是清だとは思わないが、このような絶妙な発言ができる才能は高く評価できる。この何とも言い難い不条理感、白けた雰囲気を演出できるという意味で、平成の「Mr.ボオ」とは呼べるかもしれない。
11/12(木)
いやー,えらいこっちゃ.
月火の二日間,寝込んでいた.先々週から体調が最悪だったのだが,先週末から急激に悪くなり,月曜日で臨界に達したらしい.結局,今日にいたるも回復はせず,油断できない状況である.
医者に行ったところ,病名は腸炎だとのことだ.半年に一度は同じことをやっているような気もする.この病気の嫌なところは,
- 一日十数回にわたり,しかもじっくりとトイレの壁を観察する機会に恵まれる
- 頻繁にのどが渇く
- あまり食事をする気がなくなる
- 体力が衰えて日常的に怠くなる
といったところか.また,日常生活のうえでは,上記の項目1.から導き出される,
- トイレの無い場所,または行きづらい場所に二十分以上いられなくなる
という点もつらい.
ところで,この状況に陥ると,日本の紙はまだ堅くてザラついているということが身をもって実感できる.海外のものに比べれば十分に高品質なのだが,一日十数回の使用となると,さすがにこたえる.そのおかげで,さらに加えて,
という問題にも直面する.今の状況を具体的かつ詳細に書くと苦情がきそうなので止めておくが,かなり痛いとだけ報告しておこう.
他のことはまだしも,普段起きている時間のほとんどを椅子に座って過ごす身にとしては,これが最もつらい.
というわけで,なかなかハードな日々(症状としてはソフトすぎる日々)を送っているのである.
11/6(金)
夜の帰り道,前を歩いている女性がチラリと後を見たかと思った次の瞬間,脱兎のごとく走りだす….これはよくあることだ.まぁ,いささか自意識過剰すぎへんかとは思うが,その気持ちはわからないでもない.
光が丘というところは夜の十一時頃まで明るく,終電までは人通りも多いので,さすがに上のようなことは少なくなった.しかし,どう考えても走り出すシチュエーションでもないのに走り出してしまう人はいる.
先日,夜の九時頃に帰宅した際のことだ.私の住んでいる棟は駅から約三十メートル程度なのだが,そのわずかな距離を歩く間に起こった.
私の三メートルほど前を五十過ぎくらいの中年女性が歩いていたのだが,チラリと後を気にしたかと思うと,いきなり走り出した.もちろん駅前は明るく,駅前にあるコンビニエンスストアも開いており客が出入りしていた.「オイ,マジかよぉ」と思いながらも自分の棟に向かって歩いたのだが,その中年女性も同じ棟らしく,エレベータホールに駆け込んでいった.エレベータの呼び出しボタンを押した後,その中年女性はそわそわした様子で,エレベータの回数表示と私を交互にちらちら見ている.私は「アホちゃうか」と呆れながらも,普通を装いながら歩いていた.
で,エレベータが着いて中年女性が入っていったので,私も乗せてもらおうかと小走りしたのだが,扉のところまで着いたときには,すでに閉まりかかっていた.普通の状況なら「開」ボタンを押して待ってくれそうなものなのだが,その中年女性は「十三日の金曜日」のヒロインにでもなりきっていたようだ.閉まりつつある扉の向こうには,脅えきった恐怖の表情で「閉」ボタンを連打する中年女性の姿が見えた.
ちなみに,エレベータホールは蛍光灯で非常に明るく,そこに置いてあるベンチでは私服姿の女子高生(中学生?)が二人,キャッキャと楽しそうに世間話をしているような状況だった.いったい何が中年女性をそこまで追い込んだのか,私にはさっぱりわからない.
取り残された私は,女子高生の世間話を聞きながら,降りてくるエレベータをひたすら待っているしかなかった.顔に虎の入れ墨をし,額に「エレベータ」と書いて復讐を誓おうかとも思ったが,まぁこの程度のことでそこまでするヤツはいない.
ただし,その中年女性が自宅に帰り着き,家族の誰かに「ねぇねぇ,いま怖かったんだよぉ…」とか話していたとしたら,これほど悔しいことはない.
11/4(水)
恥ずかしながら板橋に大仏があるとは知らなかった.昨日,近所を探索していたら東武東上線下赤塚駅の近くで「東京大仏→ 1500m」という案内を発見した.
あいにく,夕方で日が暮れかけていたため歩いて行くのは中止したが,次の機会にはフリークライミングの装備で行くことにしよう.
大仏についての理解を深めようと全文検索エンジンで探したら大仏めぐりというページを見つけた.東京大仏が真っ先に挙げられているので,かなり有名な大仏のようだ.そういう大仏であるからには,やはり一度登っておかねば拝んでおかねばなるまい(無宗教だけど).
ところで,「大仏めぐり」のページで布袋の大仏さまを紹介したページにリンクが張られているのには驚いた.この大仏(実際には名古屋弁で「でゃーぶつ」と発音されていた)は,私が育った家から自転車で五分ほど行ったところにがあり,よく遊んだものだ.この大仏は赤影ごっこをするには最適の場所だったのだ.というよりも,金目像に見立てられる建造物がすぐ近くにあるため,必然的にそうなってしまうのだが.おかげで,今でも赤影は大好きな作品である.
また,近所のガキが集まり,野ざらしになっている大仏の近くで遊ぶのだから,当然のごとくみんなで登っていた(^^;).すいぶん危ない遊びだが,実際には近所の人に見つかって怒られるまでにどこまで登れるかを競うタイムトライヤルレースのようなものだった.そして目のところまで登った奴がいたという伝説まであった(^^;).そんなわけで,大仏を見ると未だに登ってみたくなる,というか大仏は登るものだという認識がある.果たして東京大仏に登れるのかどうかは不明だが.
しかし,よりによって大仏で遊べるというのは凄い環境だ.
ちなみに,この「布袋の大仏」のページには「奈良の大仏よりも大きい」とか,凄い説明が書かれている.しかし,実際にはコンクリート製の頭でっかちな造形で,奥さんを初めて実家に連れていった時,電車の窓から見て大笑いしたという代物である(個人所有のものにこんなことを言っては失礼だが).
11/2(月)
最近,髪が(以前と比べて少し)薄くなったのと同時に毛が細くなり,クセがゆるくなったので少しは楽になったが,それでもまだ整髪にドライヤが欠かせない.ちなみに以前は整髪料を大量に振りかけ,さんざんあぶって何とかまとまる程度だったのだが,現在では整髪料が要らなくなっている.
で,いつもの通りに整髪をしていたのだが,その最中にドライヤが煙を噴き始めたのには驚いた.ブラシをかけていたら手が熱くなり,樹脂の焼ける臭いが周りに漂いはじめた.何かと思って手元を見てみると,ハンドグリップ部から煙が立ちこめ,隙間から真っ赤な光が見えた.
反射的にドライヤを手放そうかと思ったが,おびただしい量の煙が出ている状態なので次の瞬間には発火するかもしれない.もし手放してしまって洗面台の上で発火したらたいへんなことになる.また,洗面台を使ったばかりなので,かなり濡れている.そんな場所に異常動作している電気製品を置くのは危険だ.ここでパニックになってはイカン!と己を叱咤し,冷静に電源を抜いた.おかげで左手の掌が極軽い火傷状態になってしまったようだが,無事に済んだ(大げさ).
これまでドライヤがブッツリと動かなくなることはあっても,煙を噴いたのは初めてだ.奥さんに聞くと,ドライヤが壊れるとき,大抵は火を噴くとのことなので,これまで運が良かったのだろう.大事に到らずに済んだのだが,髪の毛から焦げた樹脂の臭いがして気持ちが悪くなりかけたため,シャワーを浴びることになった.
しかし,いくら驚いたとはいえ,ここまで引っ張るほどのネタではない.申し訳ない.
11/1(日)
今朝の新聞とテレビで放送が始まった小沢一郎の広告には驚いた。正確には自由党だが、まぁこの場合にはどっちでもおなじようなものだろう(暴言)。
「議員は多すぎる。しかし、本当は足りない」だとのことだが、まぁその通りでしょう。ただし、正確には「議員は多すぎる。しかし、本当は自分の言うことを聞く議員が足りない」ということなのだろうが。
政治活動経験や地盤・看板・鞄の有無が、誰でも立候補できるとされていながらも、それを敷居の高いものにしているのは事実だ。それを政党が候補者を公募し、候補者選定の対象にしようということであるのなら、これは決して悪くはないアイデアだ(詳細はここ)。実際、私は小沢一郎や自由党に対しては否定的な評価しかしていないが、広告を見て「面白そうだから申込書を取り寄せてみようか」と思った。ただつついてみたいだけなんだよねー(^^;)。とはいえ、何にしろ、このような形で興味を喚起する方法は上手い。
しかし、自由党の方針に共感し、自由党だから候補者になりたいと思う人が何人いるかと思うと、前回の実績(126議席中6議席)を見る限り、それほど多いとは思えない。たぶん、一万人の応募者があったとして、そのうちの九九九〇人は私と同じ動機ではないかと勝手に推測してしまう。そう考えると、それも何だか嫌になってしまった(^^;)。